毎週水曜日にはドラマ「相棒」を見ます。特に水谷豊さんのファンでも、反町隆史さんのファンでもありませんが、もう10年近く見続けています。
相棒が始まると、そろそろ秋が始まると思い、終わると春がやって来ると思うため、ちょっと季節の風物詩のような存在になっています。
状況は全く違うのに自分のことのように感じた
今回は「操り人形」というタイトルで、50年前の学生運動が盛んだった頃に大学生活を送った3人の男女が経験したある出来事(女子学生がレイプをされたことにより、殺人事件が発生しました)が現在の殺人事件につながってしまうというストーリでした。
夫はつまらないと言って、早々にうたた寝を始めてしまいましたが、私はすべて見ました。なんだか見ていて身につまされるというか、他人事には思えず、ついすべて見てしまったのです。
私はまだ年齢は50代だし、ドラマの中の3人のように大きな苦悩を抱えているわけではありません。しかし、かつては同じ大学に通い、同じことに熱中して青春を謳歌していた若者たちが、過去の出来事に縛られたまま年老いて、自分の行末を考えなくてはならないという状況が、とても胸に迫るような気がしたのです。
自分の学生時代に一緒にいた人のことを考えた
私が大学に通っていたのは、今から40年近く前のことです。当時同じ場所に通い、同じ授業を聞いていた人たちは今、どこでどうしているのかとドラマを見ながら考えました。きっといろいろな状況の人がいることでしょう。
私が知っているだけでも、精神の病でずっと働けない人、病で入院している人、家業と育児、介護で忙殺されている人など1人として同じ状況の人はいないし、誰もが何かを抱えていると感じられます。
こんなことを考えていたら、ドラマが終わってしまいましたが、ドラマが終わって真相が明らかになっても、何も解決はしませんでした。バラバラだったピースが最後にはすべてピッタリとはまりますが、はまりかたは残酷です。もと同級生だった男女3人の誰にも救いがありませんでした。
そんなに救いはあるもんじゃない?
事件の真相が明らかになったのにも関わらず、苦しみの中に取り残された人間の顔(年齢を重ねた俳優さんには実力もあるし、シワが表情豊かに見えるのです)を見ていると、なんとも言えない気持ちになりました。
男女3人のうち、レイプをされた女子学生は、子どもに罪はないと言って出産を選択、シングルマザーとして懸命に子どもを育て、他の2人はそれを陰ながらサポートします。しかし、それはまったく報われないばかりか、かえって自分たちが苦しむ結果となりました。
これを実際の世界でも、そうそう救いなどはないのだから、と納得する人もいれば、せめてドラマのお話の中だけでも救いを持たせて欲しかったと思う人もいるのではないでしょうか。
ほろ苦くてもそれで良し
最後にカチリとピースがはまる、そして後味があまり良くないというのはどこかオー・ヘンリーを彷彿とさせます。私にも納得できないとか、どうにもならない、と思えることがありますが、こうしてドラマにまでなるくらいなのですから、本当に私だけが感じていることではないのでしょう。
これは、きっと誰もが感じることなのだということを思い出させてもらった、有意義な時間だったと思います。