志村けんさんの死に思うこと

テレビ コロナ

志村けんさんが亡くなってしまいました。子どもの頃から親しんできたドリフターズの一員だった志村さんが、まさかこんなにあっけなく逝ってしまうとは思ってもみませんでした。

都知事の発言は正しい

志村さんが亡くなったときの、東京都知事の発言が冷たすぎると感じた人もいたようです。確かに彼は私たちに新型コロナウイルスの恐ろしさを伝えるために死んだのではありませんから、何だか彼の死を利用しているような感じを私も受けました。

しかし、彼の死が人々に与えた影響を考えると、都知事の発言は決して間違っていませんでした。テレビの街頭インタビュアーに若者が次々と『初めて怖いと思った』と語っていました。

我が家でも夫が初めて、「コロナウイルスって怖いんだね」ともらしました。それまでは、そこらへんの若者と変わらずに「かかるときは、かかるんだから、気にしたってしょうがないよ~」などとうそぶき、平気で飲みに出かけて、深夜に帰宅していました。しかも鍵を持たずに出かけてしまうため、ほかの面でもいろいろと問題があります。

止めてもムダだと思う一方で、もし夫が新型コロナウイルスに感染して、娘たちに感染したら、と考えると、私は複雑な心境でした。夫はそれを考えないのか、それとも感染させてもよいと思っているのでしょうか。それはあまりに家族として責任感がないのではないかとも思えたのです。

テレビに出る人に助けてもらったと思う

夫はテレビでどんなニュースを見るよりも志村さんの死を知ったときに、反応していました。初めて夫の中では新型コロナウイルスが他人事ではなくなったようです。志村さんは70歳で、感染すると重症化するリスクがあることは、誰でもわかっていたでしょう。それでもこれだけの影響を人々に与えました。我が家の娘までがショックだといっています。

もし夫が新型コロナウイルスに感染することを免れたなら、それはかなりの部分で志村さんのおかげだと思います。テレビの向こう側の人のことなど、これまであまり考えたことはありませんでした。私にとってテレビの世界はバーチャルの世界と同じことでしたが、こうして助けてもらうこともあるのだな、と今しみじみと感じています。

寂しいお別れになってしまった

志村さんがドリフターズに加入したのは1974年のことだそうです。当時私は10歳、ドリフターズといえばおじさんの集まりだと思っていましたが、ちょっと若くてかわいい人が入ったな、と思ってテレビを見ていたことを今でもよく覚えています。

それから今まで45年、長い間親しみ続けた顔でした。だからこそ、夫にも彼の死が強く響いたのに違いありません。

子どもの頃にテレビで夢中になっていた人たちが、最近は次々に亡くなっていきます。私が55歳になっているのですから、仕方がありません。これが順番というものでしょうが、なんとも寂しいことです。今回の志村けんさんの死は、あまりに寂しいお別れになってしまいましたが、きっと彼にいろいろな意味で救われる人が日本にはたくさんいると思います。

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