「ファミリーヒストリー」という番組がありますが、あれを見ていると有名人は先祖のことを調べてもらえて羨ましい、といつも思います。戸籍を遡れば、私にも先祖のことが調べられるのでしょうか。
私は曾祖父母の顔も名前も知らない
私の娘たちはひいおばあさんの顔を知っています。それはすぐ側に住んでいたからです。しかし、私は曾祖父母の顔と名前を一切知らないです。現在57歳の私の子どもの頃から、急激に今のような核家族が増えてきたように思いますから、私と同じような人は多いのではないでしょうか。
父も母も地方から上京していたため、私には祖父母もどこか遠くの人といった感じがします。それに両親とも自分の実家の話などはほとんどしませんでした。ましてや自分の祖父母(私にとっては曽祖父母)の話などは聞いたこともありません。
そして私自身が故郷と思える土地がありません。成人するまで住んでいた実家は、たまたま引っ越しした先という感覚しか持てませんでした。今考えると両親が亡くなるまで住んでいた実家に、私が住んでいたのはほんの12~3年でした。結婚してから建てた現在住んでいる家にいる期間の方がずっと長いのです。
いろいろと考えていると、自分がこの世に出るきっかけのようなものを一切知らないことを思い知らされます。私は、今は普通のおばさんとして大地に根を張っているようでいて、実は中身は根無し草なのかもしれません。
父も先祖のことを知らなかった
父の実家は瀬戸内海に面した小さな街にありました。家系図は5代前くらいの先祖の名前から始まっており、それ以前のことはわからないと父は行っていました。
海が本当に近くにあったため、父はよくご先祖様は海を渡ってこの街に来たのかもしれない、だから昔のことがわからないんじゃないか、と言っていました。父は自分の先祖は朝鮮半島から来たのではないかと思っていたようです。
それを話しているときの父はどこかワクワクした様子だったのを私は今でも忘れません。私の実家の姓には「花」という字が使われており、そのことも一層父の想像力を刺激したようです(朝鮮の人々が日本風の名前を名乗るとき、花や梨の字が好んで使われたということです)。
父も母も自分の先祖のことをよく知っていたとは言えませんでしたが、だからこそ自由に想像することができたのかもしれません。
伝えていくことに価値がある
必ずしも自分の先祖や故郷にこだわらなくても良いのかもしれませんが、やはり何もわからないのは寂しいと感じるのも事実です。もっと父は母に子ども時代のこと、祖父母のことを聞いておけば良かったと思うことがよくありました。
だから私はそれぞれが自分の知っていることを子どもや孫に伝えると良いのではないかと思っています。できればブログに書くとか、ノートに書き留められれば、将来記録として誰かが面白く読むかもしれません。
自分の両親や祖父母はこんな人だったよ(これくらいなら、誰にでも何らかの記憶が残っているでしょう)と伝えることが、何代にも渡れば、立派なファミリーヒストリーになりそうです。ファミリーヒストリーですから、誰かの手を借りるよりも、家族で大切に伝えるのが本来のやり方なのかもしれません。
そうやって伝えられていくと、自分がその家族の一員なのだという思いも強くなり、結果としてしっかりと根を張った生き方ができるような気もします。私もこの記事を書いたことで、ファミリーヒストリー作りの第一歩を踏み出したのかもしれません。