今日も暑かったですが、夫が休みなので一緒に私の実家の墓参りをして来ました。お盆休みが終わったばかりだったので、人はまばらでしたが、とにかく暑くて霊園を訪れた人は辛そうでした。
花も枯れる暑さ
お墓の花もすぐにダメになるようで、まだお盆が終わったばかりなのにどの墓の花もしおれていました。
実家の墓もきっと弟夫婦が墓参りに来たのでしょう。花はすでに霊園の従業員によって撤去されていましたが、花立の中に残った水が腐って異臭を放っていました。
私と夫は黙々と花立てを洗い、縛ってある輪ゴムも外さずに花を入れて(その方が片付ける人が楽だろうと夫が言うのです)、線香を供えて霊園を後にしました。
流れ作業のように素早い墓参りだったと思います。もっとお墓の前で、感慨にひたるとかできると良いといつも思うのですが、こう暑いとそれどころではなくなってしまいます。
食べ物は供えられない
いつも我が家では墓参りには米を持参します。お墓の花立ての間にくぼんでいる箇所がありますから、そこに米を供えます。
夫は私の実家の墓にも米を供えた方が良いのではないかと言いますが、霊園では食べ物はお供えしたらその後持って帰ることになっています。
食べ物を置きっぱなしにすると動物がいたずらしに来る可能性があるし、もし腐りでもしたら、結局片付ける人に迷惑がかかります。米は生のままなので、そんなに早く腐らないでしょうが、カラスが来る原因にはなるようです。
霊園というのは、多くの墓石がひしめき合ってたっています。我が家のお墓が田舎の一軒家だとすると、実家のお墓はマンモス団地といった感じです。団地ではちょっとしたことで隣人に迷惑をかけてしまいますから、米くらいは供えても良いのではないかとは私には思えないのです。
墓に来ると思い出す
霊園が団地という発想は、私の実家が団地だったことも関係していると思います。今はもう実家はありませんから(こちらの記事もどうぞ「実家がなくなった話」)、霊園の中の墓石だけが私に実家を思い出させてくれるのです。
実家の墓は父が亡くなる前に母が買って用意をしていました。父が亡くなってすぐの頃、母はまだ60代だったので、バスと電車を乗り継いて頻繁にお参りをしていました。
それが70代を迎えると、徐々に面倒になっていたようです。最終的には母は病気で動けなくなるわけですが、その数年前からお墓に行くことは重荷になっていたのでしょう。
今日霊園で見かけたのは、みんな年配の人ばかりでした。母がそうだったように、この人たちも自分もそのうちにお墓に来ることもできなくなって、最後はお墓に入るんだな、と考えるとなんだか余計に暑さが堪えるような気がしました。
結局はお墓に来ると、私は亡くなった母のことを思い出しています。やはり実家の墓参りをするのはムダではないようです。
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