昨夜、自宅にいるとドーンドーン、と花火を打ち上げる音がしました。以前から遊園地や自衛隊の基地で打ち上げる花火の音が聞こえることがありましたが、最近はコロナ禍でそれもなくなっていました。
昨夜の音は今までにないほど大きく、まるで自宅のすぐ近所で花火が上がっているようだったため、不思議に思ったのです。試しに2階の出窓から外を見てみると、今までにないほどの大きさの打ち上げ花火が見えます。
心に染みるキレイさだった
花火大会に行ったような、といったら大げさですが、自宅から見る花火としては最大級、とても美しかったです。夫は興味がないようでしたが、気がつくと次女も来て、しばらくは2人で花火鑑賞となりました。
私も普段、自分がそれほど花火が好きだとは思いません。それでも、昨夜はとても真剣に花火を鑑賞しました。もしかすると、私自身、コロナ禍や家族のこと、自分の健康のことなどで気持ちが疲れていて、何か心のごちそうになるようなことを欲しがっていたのかもしれません。
それくらい、昨夜の花火は心に染み入るように感じられました。長女は仕事だったので、花火は見られなかったのかと思いましたが、帰宅の途中で立ち止まって鑑賞したと言っていました。
実は隣の市が上げていた
とても嬉しかった花火。一体どこが上げたのかと思いましたが、どうやら私が住んでいる市のものではなく、隣の市で上げたものだったようです。ツイッターには、私と同じく自分が住んでいる市で上げたものだと勘違いをしている市民がいました。やはり、とても喜んでいるようでしたが、隣の市の花火をご相伴させていただいたわけです。
まあ、どこが上げても、花火は花火ですが、ちょっと悔しい…自分の住んでいる市にもっと頑張れよと言いたい気分になります。
我が家がある地域は、住んでいる市の外れにあります。鉄道の駅も住んでいる市のものは車で30分近くかかるため、とても不便です。隣接している市の駅の方が近いし、市の施設などはほとんど何もありません。市役所の出張所も隣の地区に行かないとありません。
夫はよくこの地区だけ軽視されている、市民税を払いたくない、などと文句を言っていますが、昨夜みたいなことがあると、この地区に住んでいるのも悪いことばかりではないと思えます。
次女の心にも残ったようです
次女もこんなことを言っていました。
花火なんて、じっくり見たのは久しぶり。キレイだった~。
いや、久しぶりなんじゃなくて、ほとんど初めてです。家族で遊園地に遊びに行って花火を見たのは、もう20年以上前のことです。そのとき、次女は音が怖いらしくて、大泣きをしていました(思えばその頃から聴覚過敏の片鱗があったのかもしれません)。それがあまりにひどかったので、それ以来家族で花火を見たことはありません。
次女はその後、友だちらしい友だちも作らずに生きてきたので、花火大会に行くこともありませんでした。大人になってから見た花火。これが少しでも次女の心に残ってくれれば、それもまた嬉しいです。
隣の市、ありがとう。花火、キレイでした。市民じゃないけど、また見せてね。