流行りのTVドラマを観て感じたこと・人間は犯罪を犯す人間の心の中に興味が尽きない

テレビ テレビ

今、中高年にも評判の良いドラマとして「ミステリと言う勿れ」について語る人が多いため、私も試しに観てみました。とは言っても夫が居眠りしている間にこっそり観たので、2話で完結する話を1話だけ、しかも30分だけを観ました。

本当には絶対にないだろうと思う犯罪

自分の母校に爆弾をしかけたのが今回の犯人でした。

幼い頃母に捨てられたことが原因で、孤独を感じていた犯人は小学校でもいじめにあいます。そんなときに、優しく自分を導いてくれた大好きな女性教師がいました。実は彼女は自分を捨てた母親でしたが、彼女は早逝してしまいます。

辛い思い出と、それを救ってくれた思い出の両方があった母校は犯人にとって、もう見たくないと同時にいつまでも大切にしておきたい、2つの気持ちを抱いている場所だったのです。そんな気持ちが、犯人に暗号を使って七面倒臭い爆破予告をさせたのかもしれません。しかし彼の目の前で主人公・久能整(くのう ととのう)が次々と謎を喝破していきます。

実は人間の心にまつわるファンタジー

推理サスペンスものかと思っていましたが、これは複雑な人間の心理に着目したドラマで、ちょっとファンタジーの要素を感じました。今回、久能の推理には数字の三が大きく関係していました。これは犯人の名前にちなんだ数字で、名前は母親がつけたものでした。

犯人は母への愛情と憎しみから、三にこだわり続けたのです。犯人の話の随所に出くる数字の三から、久能は爆弾を仕掛けた場所を割り出したのです。

実際の犯罪シーンではまずありえない話ですし、小説などに登場するにしても、昔懐かしい少年少女のための推理小説、のような雰囲気です。これを持ってくることでドラマとしては、リアリティを欠いてしまう可能性もあります。だから、私はファンタジーみたいだと感じたのかもしれません。

しかし、人間は犯罪そのものよりも、罪を犯した人間の心の方に興味があるような気がします。犯人の心の流れに納得がいって(つまり罪を犯すのも仕方がないと思えることが大切なようです。愉快犯などは共感が得にくいのではないかと思います)、その心に寄り添える誰かがいることで安心ができるのかもしれません。

ドラマを観ることで浄化を求めている?

ドラマを観ている人は、久能整に謎を解いてもらい、事件を解決してもらうことで、自分の中の何かまで、解決された気になれるのではないでしょうか。一時の安心感と心が浄化された感じを求めて、人はこういうドラマを観ているような気がします。

完全に事実ではない、虚構だとわかるような設定の方が、現実から離れられて、一層浄化される感じが強まるのではないでしょうか。みんな久能整に浄化して欲しいのでしょう(決して菅田将暉ではない)。

程度の差はあっても、推理サスペンスものが好きな人にはこんな傾向があるのかもしれないな~、などと考えました。つまり、私自身にもこんな傾向があることになります。推理サスペンスものが雰囲気ドラマなどと言われやすいのも、ここら辺に原因があるのかもしれませんね。

「ミステリと言う勿れ」は、推理サスペンスものが好きな人は、実はファンタジーが大好きだと気付かされたドラマでした。それにしても、私も、気になった番組を自由に観る生活をしたいものです。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 子育て終了主婦へ PVアクセスランキング にほんブログ村

よろしくお願いします。

タイトルとURLをコピーしました