今年も長女の誕生日が近付いて、あれから随分経ったのだと実感した話

誕生日は特別な日 家族

長女の誕生日は2月5日です。今年は誕生日に仕事なので少し早くお祝いの真似事をしようかと思っています。

立春過ぎれば、春生まれになる?

長女が生まれる直前、初めての妊娠で、予定日を過ぎてもまったく生まれる気配がなかったため、私はやみくもに散歩をしていました(運動することが安産につながると聞いていたためです)。

1年で一番寒いときでしたが、歩いている道に植えられていた桜の木には固い芽がついており、よく見ると赤く色づいていました。もう、春への準備が始まっているのがわかり、これから子どもが生まれるのにふさわしい季節なんだと感じました。

それが平成5年のことですから、もう30年近い月日が流れたことになりますが、桜の芽を眺めて、もう春が来るんだ、これから生まれる子は春生まれだ、などと考えていたのは、私にとってはつい最近のことのようです。

私のこんな気持を知ってか知らずか、夫がつけた長女の名前には「萌」の字が入っています。新しく始まる人生、植物がすくすくと成長するように、長女も成長して欲しいという願いが込められているのでしょう。ちなみに、次女にも植物にまつわる漢字を使っています。

幼い頃は誕生日に気合を入れたけど

娘たちが幼い頃は、誕生日は特別な日で、1回ずつ心を込めて祝いました。プレゼント選びも真剣だったし、ケーキも毎年、今年はどこで買おうかと考えました。

誕生日の価値はどんな人にもずっと変わりませんが(無事に1年を生き抜いた証拠ですから、ありがたいです)、成人して数年経った今ではだいぶ力も抜けてきて、私も気楽に娘たちの誕生日を楽しめるようになりました。

私にはどこかいい年をした子どもの誕生日を、年を取った親が一生懸命に祝うということに、恥ずかしい気持ちがありました。これが他人の家のことなら、私は冷ややかな目で見ていたに違いありません。

それなのにいざ自分が親になると、30近い娘のために今日はケーキを買いに行こうかと考えているのです。本当に自分がその立場にならないと、わからないことが世の中にはたくさんありますね。

子どもの誕生日が感慨深いのは、出産したから?

誕生日を祝う、私や夫の気持ちが娘たちの生きる力になれば、と思いますが、まあ、そんなに大げさなものでもありません。そう言えば、夫は長女の1歳の誕生日の晩、ケーキを食べた後、いそいそと友人宅へ麻雀をやりに出かけて行ったのでした。

私は出産を2度経験していますが、夫はどちらにも立ち会っていません。そんなのを見るのは気持ち悪くなるから、嫌だそうです。私も夫が分娩室で大騒ぎしたり、脳貧血を起こしたりしては困るので、立ち会わないことについては文句を言いませんでした。私が娘たちの誕生日に、あれこれと考えるのは、自分が出産を経験した日だからかもしれません。

とにかく30年間家族としてやってこられて、良かったです。これからの30年間はもう、一緒にはいられないかもしれませんから。30年後の私は88歳、可能性はないこともないけれど…

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