久しぶりに会った人は病気をしていた

健康

普段通っている眼科医院でかつて私がコーラスに参加していたときに、ご一緒していた女性を見かけました。コーラスは娘たちが通っていた幼稚園で催していたので、ずいぶん前のことになります。

かつて一緒にコーラスをしていた女性が

子どもたちが卒園しても、コーラスは辞めなくても良いとのことだったので、私は子どもたちが小学生になっても、かなり長い間(合計で5年ほど)幼稚園に通い続けました。

それでもずいぶん年月が経ってしまったので、その女性をスーパーなどで見かけることがあっても、もう挨拶もしなくなっていました。

しかし、私より少し年上のその女性はふっくらとして、話し方も明るく、良い人柄が顔に現れている様子で、挨拶はしていなくても、見間違えることも見忘れることもありませんでした。

久しぶりに眼科医院で出会ったとき、最初はその人だとは気が付きませんでした。髪の毛は真っ白になっていて、杖をつかないと歩けない様子でした。眼科医院にはご主人に連れてきてもらったようで、二言三言言葉を交わしているのが耳に入ってきましたが、ろれつが回っていないようでした。

そういえば最近はスーパーで見かけることもなくなっていたな、と私は気が付きました。見かけない間に彼女は病気になっていたんだと思うと、なんだか複雑な気持ちになりました。

老化は仕方がないけど病気は防ぎたい

彼女には明らかに病気の後遺症が残っており、これから先の生活は以前のようには行かないでしょう。それが悲しいと思う気持ちと悔しいと思う気持ち、そして自分もそうなったらどうしようという恐怖(何しろ同年代ですから)などがごちゃごちゃになって、一言では言えないような気持ちになったのです。

年を取ったら、老化が進むのは当然のことで、だから病気が出てくるのも仕方がないと自分ではわかっているつもりでしたが、ここ数日、夫の弟が入院したこともあって、やはり老化と病気は分けて考えなくては、と思い直しました。

老化に抗うことはできなくても、すべてではないですが病気は予防できるし、予防したいと強く思ったのです。ケガや病気で生活は一変してしまうことは、父の病気(脳出血)で経験済みです。今の生活を変えたくないなら、病気の予防は必要不可欠のはずです。

彼女の顔は穏やかだった

でも、彼女の顔は前の明るい表情とは違いましたが、穏やかでした。にこやかで機嫌よく待合室に座っている姿を見ていると、彼女は今、幸せなのかもしれないな、と思い、少しホッとできました。

ケガや病気から生まれる価値観もきっとあるはずで、それは今の私にはわからないのでしょう。病気を受け入れることで、彼女は私の1歩も2歩も先を歩む人になったのかもしれません。

健康は善で病気は悪だと決めつけすぎると、自分が病気になったときに苦しいです。ケガや病気は自分が不注意だったから、不摂生だったからという理由だけでなるのではないでしょう。そこには、避けようのない疲労やストレスなども絡んでいるはずです。それを運と呼ぶ人もいるかもしれません。

だから、彼女のように受け入れる、という生き方が大切になるのではないか、などと思いながらいつものドライアイの診察を受けてきました。まあ、予防が大切なのは変わらないですが。

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