落とすのも引き上げるのも言葉の力・自分を慰める言葉を見つける力をつけたいと思う

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先日、遠い親戚の女性から私の生活を「何もしない生活」と言われました。なぜ、他人に(夫の遠い親戚の配偶者なので、私とは血縁関係はありません)こんなことを言われなくてはならないのか、と思うと同時に自分でもその言葉に納得してしまうところがあり、ちょっと考えてしまいました。

専業主婦としても自分のことをどうなのかと思う

私は家事が得意なわけではないし、かと言って体力があるわけでもありません。家事が得意なら家にいていくらでもやることがあるし、体力があるなら草むしりや落ち葉掃きなどやはりやることに終わりはないのです。

それでも私はどちらもほどほどにしかやっていません。こうしてブログを書いたり、内職をしたりと自分の楽しみを優先したくなります。家事も楽しみもとあまりに欲張りすぎると、結局どこかにしわ寄せが来るように思います。だからほどほどで良し、体力的にもほどほどにしかできないと思っています。

せめて家族みんなが元気で仲良く暮らしていれば良いのですが、これもほどほどと言ったところでしょう。我が家はすごく仲が悪いというわけではないと思っています。しかし、次女が引きこもりだしてもう6年経ちますが、その間家族全員で顔を合わせて食事をしたこともなければ、話をしたこともありません。

長女も次女も私とはよく話しますが、お互いにはもう数年顔すらちゃんと見たことがないでしょう。なぜ、こんなことになったのかと思いますが、変なふうに今の状況は安定していて、このままずっと時が流れるような気がしています。こんな状態は病気ではないとしても、元気だとは言えないと思います。

私の現状は決して不幸ではないとわかっていますが(とりあえず誰も大病をしているわけではないし、大きな借金があるわけでもありません)、幸せとも言えません。だから、遠い親戚の女性にちょっと気になることを言われただけで、考え込んでブログにグチグチと文句を綴ることになるのでしょう。

次女は気安く話をする相手が私しかいません。だからだと思いますが「もう少し、私のことを厳しく育ててくれたら良かったのに」とか「まったく威圧的なことを言わなければ良いということではないよ」などと私や夫の子育てに関する批評(?)をしてきます。

それを聞いて私は本気で怒ったり悲しんだりするわけではありませんが、自分には結婚する資質も子育てをする資質も欠けていたのではないかと思えてきてなりません。そんなことをうすらぼんやりと考えているところに聞いたのが「何もしない生活」だったのです。

ある記事に慰められた

いろいろとやってきたつもりだったけど、結局何一つ成果は出ていないから「何もしない生活」と言われても仕方がないのかな、とも思いました。けれど、世の中はよくできています。私は1つのブログ記事を読んで慰められました。

日頃から愛読しているブログでお雪さんという私より少しだけ年上の女性が記事を書いています。お雪さんは40歳をこえてから仕事を始めたそうです。詳しい仕事の内容はわかりませんが、たびたび生徒に教えるということを仰っているので専門職なのでしょう。

それでも、お雪さんは「主婦は決してプータローではない」と言い切っています。自分の主婦としての経験が20年以上も共働きを続けた現在もお雪さんにこんな言葉を言わせているのです。私も誇りを持って主婦の仕事に向かい合おうと思うことができ、ちょっと前向きになることができました。

また、夫に話をしたところ、一緒になって怒ってくれたことも嬉しかったです。自分を落とすのも人の言葉ですが、そこから引き上げてくれるのも結局は人の言葉ででした。

自分が人の言葉で落ち込んだとしても、それを慰める言葉を見つけられる人間にならなくてはいけないな、と今考えているところです。

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