次女の誕生日

家族

8月31日は次女の誕生日でした。次女は珍しくケーキを欲しがり、私と一緒に買いに行くとまで言うので、私もそのつもりでいました。

しかし、昼過ぎに起きてきた次女は、なんだかんだと理由をつけて行かないと言ったのです。

ドタキャンするのはお約束?

もう次女は24歳になったのですから、親とケーキなど買いに行かなくても良いのです。

でも、普段引きこもって生活している次女ですから、こんなことでも私は本気にして、出かけようとするし、あれこれ考えます。

次女が引きこもって4年、同じようなことを何回繰り返したでしょう。ちょっと気持ちがくじけそうになりました。

でも私は過去にも似たような経験をしたことを思い出しました。私が中学2年生のときに、父が脳卒中の発作で倒れ、母は病院で付きっきりの看護をすることになりました。

忘れられない母の従姉妹

私と弟は親戚の家に預けられることになりましたが、当時思春期の真っ只中だった私はそれが嫌でたまらず、自分1人でも家に帰るとごねたのです。

当時我が家は母の伯母の一家とも付き合いがあり、心配した母の伯母が自分の娘(つまり母の従姉妹)を付き添いとして我が家に行かせると言い出しました。

当時ふせられていたので、詳しいことはわかりませんでしたが、母の従姉妹は精神の病気でずっと家に閉じこもっていました。私の父が倒れて生死の境をさまよっていたときに、従姉妹はこう言いました。

従姉妹
従姉妹

〇〇さん(父の名)なら、昨日家の近所であったわよ。とっても元気そうだった。

母が少し気分を害したように、こう答えたのもよく覚えています。

母

今、〇〇は病院のベッドの上で、大変な思いをしているのよ。生きるか死ぬかの瀬戸際なんだから。

それでも従姉妹は絶対に会った、話したと言って聞きませんでした。当時従姉妹は20代の半ばくらいだったと思います。中学生だった私にとっては十分に大人でした。

私は自分の常識の範囲外のことを言われて、その従姉妹がすっかり怖くなってしまったのです。もともと私と従姉妹は年齢が離れていたこともあり、普段は特に親しくなかったことも影響していたと思います。

私は大丈夫だから、従姉妹には断って欲しいと母に言いましたが、中学生1人を家に置くよりは、成人している従姉妹に泊まってもらった方が良いと母は考えているようでした。

姿を表さなかった従姉妹

結局大人たちに押し切られる形になってしまい、私はどうしようもなくなってしまいました。もう本当に家に帰るために駅に行こうとしたとき、突然従姉妹がチョット待って、と言い出したのです。

このままの格好で電車に乗りたくないから、着替えてくるというのです。最初はそれもそうだと、みなで待ったのですが、いくら待っても従姉妹は姿を現しません。

母の伯母が先に駅に行って待ってて、と言うのでその通りにしましたが、駅でいくら待っても従姉妹は来ませんでした。最終的に伯母だけが気まずそうに現れ、申し訳ないと謝った後で、私にお札を握らせ、「これで何か買って食べてね」と言いました。

話はこれだけで、その後長い間、従姉妹のことが話題に登ることはありませんでした。でも、ずいぶん時間がたち、私の子どもがかなり成長した後に、従姉妹はどうしてるのかと母に尋ねたことがあります。

従姉妹は自分の人生を進んで行った

母の話では結婚して、孫までいるということでした。

今、次女がやっぱり行かないと繰り返す度に、私は従姉妹のことを思い出しています。

すると、良くなるか悪くなるかそれはわからないけれど(従姉妹も結婚して孫がいることはわかっていても、それがどんな人生だったのかは私にはわかりません)、ずっと状況が変わらないはずはないと思えて、自分の心がなだめられるのです。

今は次女もずっと家にいて、膠着状態のように思えますが、遠い未来にはずいぶんと変わったのだと実感できるかもしれません。

付き合いがなくても、忘れられない人はいる

母の従姉妹とはその時限りだったので、もう顔も覚えていませんが、今でも延々と従姉妹を待った駅のホームの様子と電車の黄色をはっきりと記憶しています。

そのときはまさか今になってこんなに従姉妹のことを思い出すようになるとは、思っても見ませんでした。

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