毎日ルーティーンになっている家事に、私は特に問題を感じていません。毎日、何も考えずに同じことを繰り返しています。
しかし、毎日やらなくても良いけど、絶対に必要になる家事があり、これが私には悩みのタネになっています。これを特別な家事と呼びたいと思います。
特別な家事とは
例えば草むしりや窓拭きは絶対に必要です。そんなに度々はやりたくありませんが、この先ずっとやらないで済むとは思えません。
特に草むしりをサボり続けると、我が家の周りが草でボウボウになります。虫も増えるし、他のお宅に種が飛んでも困ります(我が家は昔ながらの農家がたくさんあった土地に建っていますが、昔は本当に種が飛んでくると文句を言われたそうです)。
冷蔵庫や食器棚の中もたまには掃除が必要です。不衛生なのは嫌だし、汚れきってからでは掃除が大変です。
それから絶対に必要ではなくても、家族が喜ぶから、たまにはやりたいことがあります。パンやお菓子を作ることが私にとってはそれに当たります。私は決して料理が好きとは言えないのですが、喜んでもらえることは多少無理してでも、やりたいと思います。
特別な家事が負債のように溜まっていく
私は専業主婦なので、時間は他の人よりたくさんあるはずですが、毎日の家事を終わらせて、内職をして、ブログを少し書いていると、もう夕方だということがよくあります。なかなか毎日の家事以外はできません。そうすると、特別な家事がドンドン溜まっていきます。
窓には雨の跡がついていて、そこから見える庭は草ボウボウだ、ああ、冷蔵庫の中もそろそろ拭きたいのに、という状態になってしまいます。
ここで、さっくりと優先順位をつけて家事をこなしていければ良いのに、といつも思うわけですが、そもそも毎日必要ないことにどうやって優先順位をつければ良いのか、私はよくわからないのです。
天気で優先順位を決める
今は天気を考えて優先順位を決めています。例えば窓を拭いても、次の日に雨が降ったら、がっかりしてしまいますし、雨の日には草むしりはできません。だから、次の日には雨が降るとわかっていたら、その日は草むしりを優先するようにしています。
それ以外は天気にあまり影響されないため、優先順位をつけるのが難しいです。このような家事はリストを作って、1つずつこなしていくことにしています。
窓や冷蔵庫の中を掃除するときは、すべてを1度に終わらせようとせず、1部分だけでも良しとします。
スマホのメモに窓なら、【リビング窓1】のように部屋の名前と番号を記録しておきます。掃除が終わったら、チェックを入れれば、どこまでやったかわからなくなることがありません。
これをかつて手書きでやろうとしましたが、書いている途中で嫌になってしまって続きませんでした。スマホのメモなら、何度でも使えるので、これからは計画的に家事ができるのではないかと期待しています。
こんなことを考える理由
この方法で気長に、もれなく掃除をしていれば、どこかを掃除し忘れて、見るも無残なことになるのは避けられるはずです。
実は私はPTAの本部役員を2年続けてやったことがあります。そのときに、食器棚を拭くのをかなりさぼっていました。
食器棚の中まで拭かなくても、日々の暮らしにはそれほど影響ありません。食器棚の見た目には変化がないので、それほど汚れていないと思っていました。しかし、任期も終わりに近づいたある日、食器棚を拭いたときに布巾が真っ黒になったのです。
ショックでした。食事を盛り付ける食器をしまう場所が、こんなに汚れるなんて、これでは床に落ちた食べ物を食べるのと変わりはないとまで思いました。
その時に、私は毎日の家事以外でも、まったくやらなくても良いことはない、サボりすぎるとしっぺ返しをくらうと強く心に刻んだのです。
まず自分のやるべきことをハッキリさせる
ただ、リストを作って順番にこなしていくだけでは、やはり優先順位をつけることになりません。リストの中のどこから、手をつけようかと悩むこともあります(つまりあまりやりたくないのでしょう…)。
【家事 優先順位】でネット検索をしてみましたが、優先順位をつけられるのは生きるために必要な毎日の家事です。それ以外は優先順位をつけるのはとても難しいようです。
家事というのは、あくまでも個人の家の中でのことです。どこまでやるかはその家で家事を担当する主婦、または主夫の気持ちで決まることが多いのです。やろうと思えばどこまでもやることがあるのが家庭の中の家事なのです。
そうするとまず私に必要なのは、自分が家事をどこまでやるのか、その区切りをつけるということかもしれません。自分がやることがハッキリしたら、自ずと優先順位がつけられるようになるのかもしれません。
そんなことを考えているうちに30年が経ってしまいました。結論はまだ出ません。子どもが独立したら、生活も小さくなり、家事も減るかもしれないと期待していましたが、それもいつになるのかわかりません。
ただ、子どもたちが幼かった頃は、窓や草のことを今ほど気にしていなかったと思います。これはやはり、子どもたちが成長して心が他の方を向くようになったということなのだと思います。