私もご多分に漏れず、エリザベス女王の国葬の様子をテレビで見ました。日本とはかなり違う様子の葬儀には感心させられました。同じ内容の儀式でも、なぜかイギリス風の方がおしゃれに感じてしまうのは、私が昭和の人間だからでしょうか(子どもの頃は何でも洋風の方がかっこいいと思っていました。布団よりもベッドとか…)。
私が気になったのは
一糸乱れぬ行進をしていた近衛兵たちもすごかったですが、私はウェストミンスター寺院で降ろされた女王の棺を担いでいる人たちが、気になって仕方がありませんでした。棺の上には王冠だのしゃくだの花だのが載っていて、いかにも傾けたらずり落ちそうです。そして、全世界から注目されています。
きっとこの担ぎ手の人たちが生まれて初めてのプレッシャーを感じているのではないか、と思えてならなかったのです。
この人たちと私を一緒にするのも何ですが、私も似たような思いをしたことがあります。夫の祖母の葬儀のときでした。当日中に納骨までするため、私が祖母の骨壷を持つことになったのです。
骨壷を持つだけで、緊張した私
骨壷は本体はそれほど大きなものではありませんが、桐の箱に入れてカバーをかけるとかなりかさばり、持ちにくくなります。夫は多分私を心配したのでしょう。ずっと小さな声でこう言ったのです。
おい、転ぶなよ。ここで転んだら、かなり恥ずかしいぞ。転ばないだけでいいんだ。本当に転ぶなよ。
我が家の墓地は40~50年ほど前までは土葬をしていました。祖母が亡くなったのは23年前で、まだ土が柔らかかったのです。そこで履きなれない靴を履いて、かさばる骨壷を持った私を夫は心配したのだと思います。
けれど、夫の転ぶなよ、を聞いているうちに私はだんだんと心配になってきたのです。本当に転んだらどうしよう、と思うようになったのです。ここで失敗したら、この先この土地で生活しにくくなる、とまで考えました。
まあ、結局転ばずに済みましたが、国葬の様子を見ていたら、そのときの気持ちがとても生々しく蘇ってきて驚きました。
こちらの国葬も気になる
もう1つ私が国葬を見ていて思ったのは安倍元総理大臣のことです。こちらの国葬は今月の27日に行われるそうですが、よもやエリザベス女王の国葬と同時期になるとは、日本の政治家のみなさんも思わなかったのでしょう。
何だか、とても時期が悪いように思えてなりません。エリザベス女王はイギリスの母とも言われ、親しまれた方です。こちらはいかがでしょうか。徳も格も違うことを痛感せざるを得ません。費用をかけて国葬をして、かえって悲しい思いをする人がいなければ良いがな~、などと考えてしまいます。
安倍さんが生前、何をやったかということを横に置いておいても、国葬はやらない方が良かったのではないでしょうか。
本当はこんなことを他と比較するものではありませんが、どうしても時期が同じだけに比較をしてしまいます。まさか安倍さんも自分が亡くなった後に、こんなことになるとは!と驚いていらっしゃるのかもしれません。人生の終わりを見せつけるのが葬儀です。いろいろと考えさせられるのは、当然といえば当然ですね。