うろ覚えですが、ブログを始めて3年続くのは全体の3%だそうです。【だから、ブログは続けるだけで価値があるのだ、訪れる人が少なくても、アフェリエイトがうまく行かなくても、決して気にすることはない、だって3年ブログが続いたあなたは、それだけですごいんです】、こんなことが書いてあるブログを読みました。
褒めてもらったような気がする心地よい言葉
最初は少し嬉しかったです。私はこのブログを始めてちょうど3年が過ぎました。褒めてもらったような気がしたのです。しかし、そのブログではこう続きます。【今はうまく行かないと思っていても、読者にとって有意義な記事を書いているうちに、きっとあなたのブログは日の目を見るに違いありません】
ここまで読んで、やっとちょっと待てよ、と思いました。そもそも、私は有意義な記事を書こうと思っていないし、私の知っていることが誰かの役に立つとも思えません。そうすると、私のブログはずっと日の目を見ないことになってしまいます。私がブログを書き続ける意味って一体何なんでしょうか。
自分の思ったことを書くだけなら、日記でも良いのです。しかし、私はわざわざこうして誰かの目に留まるようにブログを書いています。もしかすると私はブログを読んで誰かに共感したいし、ブログを読んでもらって共感してもらいたいから、ブログを書いているのかもしれません。
続けた後はどうするのか
ところで共感の先には何があるのでしょうか。そこには、何もないかもしれないです。ただ、あ~、私と同じだと思ってお終いという確率が高いように思います。もし、共感してもらったらその先、自分はどうするのか、よく考えないといけないと思いました。
共感の先に何があるのか(それに共感されているかどうかは、自分にはわかりません)、自分はどうするのかを考えていないと、ブログは続けられないのではないでしょうか。
私が【ブログは続けているだけで、すごいこと】という内容のブログ記事を読むのは、初めてではありません。この内容を書いている記事は以外に多いのです。私が何度もこのような記事を読んでしまうことは、私がブログに対して不安を抱えているからです。有意義な記事は書けないし、共感されているかどうかもわからない、不安だらけです。しかし、今まではこの耳に心地よい言葉を聞いて、少し心をなだめて終わっていました。
だから、またすぐに不安になることを繰り返していたのです。今回は初めて、続けているだけですごいという状態の先のことを考えました。私はブログ村などのランキングサイトに登録をしていますが、これも励みになる一方、不安の種になっています。これに参加して以来、順位がどうの、ポイントがどうのと気になることが増えました。
このようなことをまったく気にせず、淡々と日々の生活で感じたことを書けるようになることが、私の思い描く【その先】なのかな~、などと今は思っています。書いていれば、そのうち共感してくれる人が増えるかもしれない、なんて都合が良い考え方でしょうか。