家族が病気になったとき、たとえ小学生でも影響は免れないな、と感じたブログ

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ある女性のブログを読んでいて、途中からこれは過去の私のことではないかという不思議な気持ちになりました。

病は家族にも影響する

ブログを書いているのは無限さんといい、年齢は私よりも一回りほど下なのでしょう。無限さんは難病を患い、現在は入院されているようですが、この記事では身体の痛みに耐えながら買い物に出かけ、偶然下校途中の娘さんに会います。娘さんに買い物を手伝ってもらいたかった無限さんですが、娘さんは友人と一緒だったために、友人を優先してしまいます。

娘さんは無限さんの携帯電話にその旨を連絡したかったようですが、運悪く無限さんの携帯電話は電池切れをしており、無限さんは散々娘さんを待った挙げ句、身体の痛みに耐えながら一人で買い物を済ませます。そして先に帰宅していた娘さんに対して、怒りが爆発してしまったのです。

手伝うのは当然、わかっていたけど逃げ出したかった私

実は私も中学2年生のときに、父が脳出血の発作を起こして2年ほど入院していたことがありました。それまでは基本専業主婦だった母が、一転正社員となって家計を支えなくてはならなくなったのです。当然今までのように家事はできなくなり、私がこなさなくてはならない仕事が増えました。

その日も学校の帰りに、早く帰宅しなくてはならないことをわかっていながら、私は寄り道をしました。当時私が住んでいた地域に寄り道できるような場所はなかったので、友人と公園でしゃべっていたのだと思いますが、とにかく普段なら夕食の支度が終わるくらいの時間に帰宅したのです。

自宅では慣れない仕事を終えて帰宅した母がてんてこ舞いをしており、帰宅した私を怒り始めました。

こんな時間までどこに行っていたの?早く帰ってきてカレーでも作っておいて欲しかったのに!あんた、ウチの状況をわかっているでしょ。それなら、もっと急いで帰ってくるよね!呑気におしゃべりなんてしていられないよね!

自分の不幸は誰にも知られたくなかった

母の言っていることが正しいのは当時の私にも理解できました。しかし、私は自分の状況が変わってしまったことを認めたくありませんでした。私自身慣れない家事が負担だったのは事実ですが、それよりも私は自分に起きた事実を認めたくない方が大きかったと思います。だから友人とのおしゃべりを切り上げようとはしなかった…

自分が少しでも不幸なことを誰にも知られたくない、という見栄のような気持ちがあったのでしょう。それにそれまで自分は何かをしてもらう側でした。ご飯は作ってもらうのが当然、洗濯はしてもらうのが当然でした。それをある日を境に、自分でやらなくてはならないのが惨めにも思えました。

無限さんの娘さんは小学5年生です。あの頃の私よりも、もっと堪えているんだろうな、大変だなと思わずにはいられません。しかし、無限さんにもそのことはわかっているはずです。それでも、娘さんに対して言わずにはいられないことがあったのだと思います。

母と娘のどちらも悪くない

私の場合、病気の当事者は父で、その父は入院中でした。私も母も若くて健康だったのです。しかし、無限さんは病気の当事者であり、同時に家庭生活も運営していかなくてはなりません。私の母の2倍の重荷を背負っていたのでしょう。

家族が病気を抱えて、別の家族がそれをケアしなくてはいけないとき、様々な問題が起こりますが、それはすぐに解決できるとは限りません。娘さんの負担を減らすために誰か他人の手を借りるのは、費用の面というよりも感情の面(他人に家の中に入られる緊張や、いつもの家事のやり方を言語化して伝えるのが面倒だという気持ちが生じるでしょう)で、難しいのかもしれません。

しかし、物事はどんなことでもなるようにしかならないため、時間に任せておけば落ち着きを取り戻すこともあります。ぜひ、無限さんには焦らずに最善の道を探して欲しいです。そのためにも、実生活で誰か頼れる人がいると良いな(行政でも良いと思う)、と思っています。

道を探っていくうちに(時間稼ぎとも言いますが)、娘さんは成長して現実を受け止める力がつくはずです。そうなったら、無限さんの心強い同士になるに違いありませんから。

私は今、当時の母の気持ちも推測できるようになり、かつての自分の行いを後悔しています。しかし、あのときはああするしかなかったんだとも思っており(だから私の精神は保たれたのだとも思っています)、何となく折り合いがついています。まあ、もう45年も前の話ですからね。

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