月曜21時からの「ミステリと言う勿れ」、最近は結構真面目に見ています。昨日3月14日放送分もちゃんと見て、しみじみしていました。特殊な育ち方をしたと思われる主人公・久能整(くのう ととのう)には友だちがいません。
彼が生まれて初めて友だちになりたいと心を動かした相手は、これまた特殊な事情を抱えた千夜子でした。千夜子は幼い頃から父に虐待を受けており、自身を守るために別の人格を生み出しました。いわゆる多重人格の状態でしたが、最後まで千夜子とともにいたライカという人格と整が心を通じ合わせるのです。
主人公がつながろうとした相手はカメラ?
長い間眠りについていた千夜子の人格が目を覚まそうとしていることから、ライカは整に心を残しながらも自分は消える決断をします。千夜子の人格が目を覚まそうとしているのは、千夜子が虐待の後遺症から回復した証拠であるとライカは考えたのです。
そもそもライカは千夜子を守るために誕生したのだから、当然といえば当然の結果です。ライカと言うのはご存知の通りカメラの名前です。千夜子は虐待を受けている時、父の大切にしているカメラになりたいと望みました。カメラは機械だから痛みを感じないこと、そして父が大切にしている唯一のものだったから、という理由がそこにありました。
なかなか他人と心を通じ合わせられなかった整が自分からつながりたいと望んだ相手が、人間としては存在していなかったこと(人間として存在しているのは千夜子です)、そしてそれがカメラであったこと(正確にはカメラになりたいと思った人間ですが)が私にはとても納得できました。見た目は若い男女でしたが、私には寂しい思いをしてきた2つの魂が寄り添って喜びを噛み締めているように思えたのです。
多様なつながりがあっても良いと思わせてくれた
今までは人と人がつながるとき、いくつかの定形があったように思います。例えば恋人、夫婦、友人、血のつながった親子など、決まりきったこうでなければ、という思い込みがあって、それがドラマにも反映されていたのではないでしょうか。また、そのドラマでさらに私たちの思い込みが固くなったと言う点もあるでしょう。
しかし、「ミステリと言う勿れ」ではもっと儚いつながりも大切なものとして認識しているようで(ある人間の別人格と友だちになるのは、かなり儚いつながりであると思います)、整とライカが焼き肉を頬張る場面では温かな思いに満たされたのです。
登場人物の一人、巡査の風呂光さんは最近、原作と違うなどと言われているようですが、彼女の整への思いは単なる恋愛感情ではなく、やはり1人の寂しくて無垢な魂をそっと慈しみたいという思いがあるような気がしてなりません。
人の心の奥底を解明して欲しい
ところで私はこのドラマをすべて肯定しているかというとそうでもありません。心の中をきめ細やかに描いていて、とてもおもしろいのに、犯罪トリックはちょっと…という感じです。10円玉と5円玉を見せて、強盗って…。う~ん、だじゃれかぁ。小学生の頃に読んでいた少年少女推理小説集などを彷彿とさせますね。
しかし、この落差が良いのかもしれません。それに犯罪を暴くだけがミステリーではないはずです。人の心の奥底、これはどんな人にとっても最大のミステリーなのかもしれません。それに人は自分の気持ちがわからなくなっているとき、誰かに解明して欲しいと願っているものです。だから、こんなに久能整という青年がみんなの心をひきつけて止まないのではないでしょうか。
もうすぐ最終話らしいですが、最後までこの温かさを大切にして、良い作品として人の心に染み込んでくれれば、と思っています。