「ないものねだり」はしない方が良いと母から学んだ

家族として生きるって難しい 生活

今、私は自分のことをなかなか幸せだと思えません。もちろん、不幸ではありません。毎日ご飯を食べられるし、どこも痛いところはないし、家族もそこそこ健康で、住む場所もあります。

一方、夫はもうすぐ定年を迎えるし、それなのに長女は漫画家を諦めないし、次女は引きこもりです。先々のことを考えると不安になるし、私が勝手に思い描いていた、子どもたちが巣立った後の静かな生活というのはまったく実現していません。

持っているものと持っていないもの、どちらもあるのが現状です。こういうときは持っているものに感謝して生きるのが良いということを私は母から学びました。

母もないものねだりをしていた

誰でもそうでしょうが、自分になくて他人が持っているものは羨ましくて仕方がありません。私だって、元気に学校や職場に通っている子どもがいる人のことが羨ましいです。母も60代のころ、同じことを感じていたようです。

ゆみこねこは結婚して子どもが2人もいるのに、弟はまだなのよ。娘の子どもって、名字が違うじゃない。これは寂しいわよ。やっぱり、私と同じ名字の孫が欲しいわ。

母は私の弟に早く結婚してもらって、自分が安心したいと思っていたのでしょう。孫の顔も見たいと望んでいたのに違いありません。私がなんだかんだ言っていても20代で結婚したので、弟も、と思っていたようですが、弟は40代になっても結婚しようとはしませんでした。それどころか、女性と付き合っている様子もなかったのです。

しかし、母のことの一言はその場にいた全員から反撃されたと言います。実はその場にいた母と同年代の女性たちにはすべて子どもがいましたが、当時誰も孫はおらず、中には2人の子どもが独身で、実家から通勤しているという人もいました。

子どものうち、1人でも結婚して孫が生まれなら、それで十分じゃない!私たちは誰も孫の顔を見ていないのよ。贅沢を言うにも程があるわ!

人と人を比べるのは実は難しい

その中には一流大学を卒業し、大企業に勤めている子ども(と言っても成人済みですが)もいました。母は優秀な子どもがいて羨ましいと言っていたこともありましたが、基準をどこに置くかで、立場は簡単に逆転してしまうのです。

誰かの幸せと自分の幸せを比べても意味がないし、自分が羨んでいるその誰かも、別の誰かを羨んでいるかもしれません。

母も当時は「孫がいない人の気持ちまで考えなかった。私が欲張りだったのかも」と言って、少々反省しているように見えました。

自分が持っている幸せは、いつか慣れてしまい、持っていることすら忘れてしまうのかもしれません。母と同年代の女性は、一喝することで母にそれを思い出させてくれたのでしょう。

ないものねだりをすることで、すでに持っている幸せを忘れてしまうのではつまらないと思います。だから、ないものねだりはしないように、気をつけたいと私は思っているのですが、中々大変です。

誰でもやらかす?

そう言えば夫の叔母もこんなことを言っていました。

〇〇ちゃん(自分の孫)は目がパッチリしていて、とてもかわいい顔をしているんだけど、嫁に似て鼻が低いのよ~。それだけが残念。

それはすぐに反応したのが叔父(叔母の夫)でした。

鼻なんか、顔に付いていて息が吸えればそれでいいんだよ!余計なことを言うんじゃない!

確かに叔父の言う通りです。何よりもお嫁さんが聞いたら、どんな思いをするか、叔父は一番にそれを考えたのではないでしょうか。

このように人生の先輩方もやらかしてしまう「ないものねだり」、自分がやらないためにはかなり努力が必要なようですが、自分の持っている幸せを忘れないために、頑張りたいと思います。

ちなみにお孫さんは男の子ですが、本当にかわいい顔をしていました(鼻は特に気になりませんでした)。彼は現在28歳、今年結婚もして順調な人生を歩んでいます。叔母はそんなことを言ったことは、すでに忘れているでしょう。

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