亡くなった人のこと

生活

世の中には普通は感じられないことを感じたり、見たりする人がいます。
亡くなった人が見えるというのも、よく聞きますが私はそれが見間違いや、幻覚、嘘ではないと考えています。目で見たことがすべてだと考える人も多いでしょうが、目で見たことは信号として脳に送られて、画像として私達に認識されるそうです。

だから同じりんごを見ていると思っていても、私が見ているりんごとあなたが見ているりんごは、まったく同じではないかもしれません。
その人に脳に左右されるのですから、同じだという保証はないのです。

目に見えないものが私を作っているのかも

だから私にとっては見えないものが見える人がいるのは、当然のことです。
なぜこんなことを言い出したかと言うと、先日アロママッサージを受けたときに、私のことを年をとった女性が見守っている様子が見える、といわれたからです。

マッサージを受ける前に、何か気になることはありませんかと聞かれて、私は家族のことが気になると答えました(心と体はつながっているから、マッサージの前に気になることを聞かれるのは、私にとっては違和感はありませんでした)。それだけを答えて、マッサージを受けていたら、お年寄りが見えるといわれて、私はかなり慌ててしまいました。

母だと思ったからです。
実は母が亡くなるときに、付き添いをしていた私は最後の瞬間に母の手を思い切りつかんで、引っ張ってしまったのです。多分、こっち側に引き戻そうとしたのではないかと、自分では考えています。亡くなる直前の私の行動は、ほかの誰にも気づかれなかったようでしたが、母は驚いたようでした。だから、母の死に顔は、驚いた顔だったのです。

見守られているのは、うれしいこと!

マッサージをしてくれた人は、私を見守っている人は、とても心配そうな顔をしているといっていました。いよいよ迫った臨終のときに、50歳を過ぎているのに、思い切り手を引っ張ってくるような娘なら、それは心配かもしれません。

ちょっと笑ってしまいましたが、何となくうれしくなりました。
この年齢になって誰かに心配してもらえるなんて、うれしいです!なくなってもしんぱいしてくれるなら、余計にうれしいです。
心配する側だった母である私が、一瞬子どものときに戻ったような、そんな気持ちになれました。

私をそんな気持ちにしてくれるのだから、普通は見えないものが見えるというのは、実はとても人の役に立つのではないか、と思います。見えないものが見えるというのは、実はとても繊細なことなのではないでしょうか。

例えば自分の顔を鏡で見たときに、亡くなった誰かの面影を見て、はっとすることがありますよね。それも、見えないものが見えていることなのだと思います。

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