お彼岸に想う・お墓や仏壇はそんなに大切だろうか

季節

朝8時半に固定電話が鳴りました。夫の叔母がお彼岸のときには行けないから(自分のところにもお彼岸だからと訪ねて来る人がいるからです)、今日我が家にお線香を上げに行きたいと言います。

我が家の周りではまだ、みなコロナを警戒してお盆もお彼岸も一切行き来はありませんが、年齢とともに堪え性がなくなっている叔母には関係ないのでしょう(叔母の家では全員がワクチンを2回接種済みです)。

叔母のように手を合わせたくならない

夫が成人するまでを過ごした実家は既に取り壊しており、叔母にとっての実家はもうありませんが、仏壇がある限り(そこに祖母(叔母にとっての母親)の位牌がある限り)、叔母はどうしても線香を上げ、手を合わせたいと言うのです。

私も父も母も既に亡くなっていますが、仏壇は弟の家にあります。50歳を過ぎて結婚した弟は妻と2人で集合住宅に住んでいます。ちょうどコロナ禍にぶつかってしまったこともあり、私はまだ新居にお邪魔したことがないため、ここ数年は父や母のために仏壇に手を合わせたことはありません。

最初は少し抵抗がありましたが、弟のお墓に行って手を合わせても同じでしょ、という言葉にいつしかそれが当然になってしまい、今ではまったくと言って良いほど、手を合わせたいとは思わなくなりました。

我が家に祀ってある仏壇は、汚れたら嫌なので掃除するし(なぜ仏壇にはあんなにホコリが溜まるのでしょう)、ご飯を炊いたら備えます。そのときはリンを鳴らして、手を合わせしばらく頭を下げます。しかし、それは仏壇が目の前にあるからやっているだけです。

自分がやりたくてやっているから、と言うよりは、それが習慣だからやっていると言う感じです。お墓もそうです。昔ながらの共同墓地にある夫の家の墓(今は私の家の墓でもありますが)は、放っておくと雑草に埋もれてしまいます。

お盆やお彼岸は掃除をする良いきっかけになるため、定期的に墓に行きますが、そこで亡くなった人のことを思い浮かべるとか、ましてや心の中で会話をするなどということはまったくないのです。

実家の墓に行く理由が見つからない

私の実家の両親が入っているのは近代的な霊園の墓です。スペースも狭く、雑草の生える余地もありません。常に職員が見回ってくれるため、ひどい状態になることもありません。すると、是が非でも墓に行かなくてはと思うことがなくなりました。

今年のお盆のときは、夫が2週間の出張に出かける直前だったので準備に忙しく、無理して行かなくても良いかな~と思い、墓参りをしていません。

どうせすぐにお彼岸が来ると思ったし、いくら墓参りをしても、それが親孝行になるとは思えません。死んでしまっては、何もわからないのではないでしょうか。自分が死んだ後も同じです。死んでしまっては、誰が手を合わせてくれたのかわかりようがありません。

年をとると大切になるのかも

実家の母も最後に自分の両親の仏壇に線香を上げに行ったときに、ずいぶんと寂しい思いをしたそうです。知らない間に実家は別の場所に(まあ、場所はすぐ近くだったそうですが)建て替えられていたそうです。

そして、わざわざ埼玉から新潟に線香を上げに行ったにもかかわらず(同窓会のついでだったみたいですが)、お茶の一杯も出してくれなかったと言う母の口調は恨みがましいものでした。

母にしても叔母にしても、年をとるとそういったことがとても大切に感じられるのかもしれません。だからなるべく、叔母には気持ち良く線香を上げに来てもらおうと思っていますが、見ているとやれやれ、大変だなと思わずにはいられません(これはコロナ禍の中で、どうしてもやらなくてはならないことなのでしょうか?)。

お墓や仏壇は手を合わせることで、自分が落ち着けるなら良いですが、それをするために自分が大変な思いをするのは本末転倒のような気がします。叔母にしてももう1人では我が家に来られないので、息子に連れてきてもらうのです。息子だって大変です。

結局お墓も仏壇も人間が作り出したものですから、もっと人間に都合よく利用しても良いと思います。

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