母方の伯父さんの話・運がよいのか悪いのか

伯父さん 家族

私の母は8人兄妹でした。一番上がお兄さんでしたが、この人の話を聞いていると運がよいとか悪いとかは、一概にいえないと実感します。

2回も命の危機をくぐり抜けた伯父

このお兄さんはまだ小学校に入学する前に、トイレに落ちました。もちろん当時は汲取式で、落ちた場所には汚物がたくさん溜まっていました。お兄さんはその汚物で溺れてしまい、意識を失ってしまったそうです。医者が呼ばれましたが、おそらく助からないだろうといわれたそうです

しかしお兄さんは一命を取りとめ、無事に小学校へと通いましたが、その後第二次世界大戦が起こり、兵隊として戦地に行くことになりました。徴収される年齢ではなく、自分から志願したといいます。当時、母の母(私の祖母)は大反対をしました。決してお国のために頑張ってこいなどとはいわなかったそうです。

お兄さんの性格はどうもいい出したら、意地でも貫き通すものだったようで、反対を押し切って出征しました。食糧難の大変な時期に、祖母は毎日陰膳を供えて、無事を祈っていたということです。しかし終戦してからも、お兄さんは一向に帰ってきません。

家族の誰もが諦めかけた頃に、突然お兄さんは大きなリュックサックを背負って帰ってきました。リュックにはたくさんの食べ物が入っていたそうで、まだ幼かった母たちは大喜びをしたそうです。母はよく、そのときに食べさせてもらった食パンの味が忘れられないといっていました。

でも、最期はあっけなかった

その後、母の兄は家を継ぎ(家業は魚屋でした)、結婚もして子どもに恵まれました。家業は発展して、今でも兄の子どもが立派に跡を継いで家業を続けています。でも、お兄さんは長生きできませんでした。42歳で亡くなりました。

原因はガンです。肺がんでした。カゼが長引いて、咳が止まらないので、医者にかかるとすぐに大きな病院へ行くようにいわれ、入院生活が始まりました。地方ではダメだということで、わざわざ東京女子医大病院に転院して治療を続けましたが、よくなることはありませんでした。

私は母に連れられてお見舞いに行きましたが、なぜ地方に住んでいた伯父さんが東京の病院にいるのか、不思議で仕方ありませんでした。今考えると、2回ももうダメだという状況をくぐり抜けたのに、最後はあっけなくいなくなってしまったということが、私に何かを教えてくれているような気がします。

伯父さんが教えてくれたこと

運がよいだけの人間はいない、伯父さんのことを考えるたびに、私はこのことを思います。素晴らしい強運の持ち主だと思っていた伯父さんは、最後にはそれを帳消しにするような病気と向き合わなくてはなりませんでした。亡くなったときに、伯父さんの3人いた子どもの末っ子は、まだ小学2年生だったのです。

でも、逆に運が悪いだけの人間もいないのではないでしょうか。よいことと悪いことのどちらが先に来るかが、わからないだけです。両方を天秤にかけると、多分同じ重さなのではないかと思います。ワタシ的には、よいことが後から来てくれた方が、気分はよいですね。

母はよく命日を忘れていると、伯父が夢に出てきたといっていました。1度など、夢の中で自分の家(つまり私の実家)の玄関から伯父がただいま、といいながら入ってきたそうです。目が覚めた母は、すぐに花を買って線香をあげたといっていました。そんな話から、お盆やお彼岸には伯父を思い出すのかもしれませんね。

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