沖縄の本土復帰50周年をメディアが盛り上げようとしているけれど…

沖縄といえばシーサー 生活

今日は、沖縄がアメリカから日本に返還されてちょうど50年目の記念すべき日です。私は1964年生まれなのでそのときは小学2年生でした。

沖縄が返還されるとはどういうことかよくわからず、母に質問したことを覚えています。「沖縄県っていうくらいだから、もともと日本だったんでしょう?それが何でアメリカから返ってくるの?」

沖縄を通して戦争を実感した

母は自分の知っていることを一生懸命に話してくれました。

  • 第二次世界大戦で敗戦国となった日本は当初アメリカに占領されていたこと
  • 沖縄など(小笠原諸島も占領されていた)をそのまま占領するのと引き換えのように日本の大半が占領国から脱したこと
  • 沖縄ではアメリカの法律がそのまま適用されており、交通規則や通貨も日本とはまったく違うこと
  • 沖縄の人たちは県外に出るときにパスポートが必要だということ

母は普段、私が何かを質問するととてもうるさがり、自分で調べなさいと言われるのがオチでしたが、このときは違いました。そしてそれを私が今まで記憶しているというのは、やはり強い印象を持った証拠だと思います。私の子ども時代、戦争を感じさせるものはもうどこにもないように思っていましたが、母の話を聞くことで、私は初めて日本は戦争に負けたのだと実感したのです。

私は残念なことに実際に沖縄に行ったことがありません。しかし、アメリカ軍の基地が集中している土地での生活は、いろいろと我慢が強いられるはずです。

アメリカ軍の基地がある理由がわからない

私が住んでいる地域の近くには自衛隊の基地があり、一時は飛行機の騒音などが問題になりました。飛行機が飛ぶルートのすぐ近くに住んでいる人はテレビの映りが悪いとも話していましたし、娘たちが通っていた中学校の校舎は50年前から騒音に配慮して窓には2重ガラスを使っています。

日本の自衛隊の基地が側にあるだけで、我慢を強いられる人がいるのです。沖縄のアメリカ軍基地は比べ物にならないほどの面積ですし、数々の報道を見ていると、県民への配慮があるとは思えません。それに他国の軍の施設がないと、どうしてもダメなものなのでしょうか?

かつてはそれらがなくても誰も困っていなかったことを考えると、どうして未だにアメリカ軍の基地が日本になくてはならないのか私にはとても不思議なのです。私は、早く基地のない本来の姿を沖縄だけでなく、すべての場所が取り戻せるように、強く願っています。

母に比べると私の思いは…

今考えてみると、あのときの母には沖縄の人たちを思う深い気持ちがあったようです。自分が住んでいる場所は変わらないのに、国が変わってしまうのは激流に放り出されるようなものでしょう。

苦しい戦争を経験した挙げ句、やっと落ち着いたと思ったら生活の根幹が変わり右往左往しなくてはならない人たちを気の毒に思う気持ちが母にはあったのだと思います。やはり母も同じ時代を生きた人間として思うところがあったのでしょう。最近母の記憶が薄くなってきたと思っていましたが、いきいきとした母の姿を思い出して、何だか懐かしくなりました。

しかし、沖縄の状況はそれほど好転していないのに、母に比べると私の思いは薄く、恥ずかしいくらいです。ちょっと朝ドラを見て、娘と盛り上がっているなんて…でも、こうして関心を持ち続けることが、私たち大多数の人間には必要なのかもしれません。

この50周年が終わり、人々の関心が薄まっても、沖縄に変化は訪れるのでしょうか。

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