高校生の頃から、道を歩いているとよく知らない人に話しかけられます。
道を聞かれるだけではなく、いろいろなことを話しかけられますが、ほかの人にもこんな体験はあるのでしょうか?
なぜ、話しかけるのか
昨日も車でスーパーに買い物に行って、荷物を積んでいたところ、隣の車でやはり荷物を積んでいた私より少し年上に見える女性が『このカート、一緒に片付けてきます』といって、本当に片付けてくれました。
いつも私は同じスーパーに行っていますが、脚が痛いのでタクシーを呼びたいとか、尿漏れパッドはどれがよいでしょうかなどと聞かれたこともあります。
もっと若い頃には、デパートにいると〇〇売り場に案内してくれだの、駅にいると〇〇方面に行きたいのですが、などといわれていました。そのたびに私はかなり律儀に対応しました。
その態度が、余計に人を呼んでしまったのかもしれません。
私は人付き合いは苦手で嫌だと感じることも多いのですが、知らない人にちょっと話しかけられるのは、微笑ましい感じがして嫌いではありません。
よく実際の付き合いよりもネット上での付き合いの方が、趣味が合っているし、変なしがらみもないので心地よいといわれていますが、スーパーで主婦同士が少しだけ話すのは、それよりもさらに希薄で、気楽です。
長い間生きていると、付き合いも固定されてきますが、それがたまに寂しいとか息苦しいとか感じる原因にもなりそうです。家族だけと喋っていると、ちょっと息が詰まるように感じることはありませんか?私にはあります。何かほかに活路を開きたくなるというか…
そんなときにちょっと知らない相手としゃべることがガス抜きになるのかもしれません。
どうもみんなは話しかけられないらしい…
ところで私と同じ経験をしている人がいるかも、と思っていろいろな人(家族や知り合い)に話してみますが、誰もそんなことはないといいます。人間は道案内をして欲しい場合でも、自分よりも忙しそうな相手にはわざわざ話しかけないそうです。
すると私はとてもヒマそうに見えるということになります。なんだか複雑な気持ちになりますが、きっと自分は話しかけやすい顔をしているんだと思うとまんざらでもありません。
話しかけられたら、返事をしてみよう
私の母が生きていた頃、年をとってくると知らない人にも平気で話しかけるようになる、といっていました。今日は寒いとか暑いとか、そんなたわいもないことをすぐに話しかける相手が欲しくなるそうです。でも、あるときトイレを待っているときに、行列が長かったため、前に並んでいる若い女性に話しかけたら、そっぽを向かれてしまったそうです。
その人にも自分の事情があったのでしょうが、何とも残念な話です。
一言相づちを打つだけで、その人は知らないおばあさんの気持ちを温かくすることができたかもしれないのです。それだけではなく、自分の心も温かくできたのに、と思うと二重に残念です。
自分の一言が誰かの役に立つと思えば、心が温かくなるのは当然です。
忙しい毎日ですが、知らない人が話しかけてきたら、少し足を止めて、耳を傾けてみてはいかがでしょうか。知らない人が話しかけてくると、自分について考えるきっかけになります。何か新しい発見ができるかもしれませんよ。