実家の弟に納得できた

実家

最近、長女が不眠のために行った病院で、ASD(アスペルガー症候群)の可能性が高いと言われました。それで思い出したのが実家の弟のことです。

悩みのタネだった弟

私よりも3歳年下の弟は幼い頃は落ち着きがないため、母の悩みのタネになっていました。幼い男の子に落ち着きがないのは珍しいことではないかもしれませんが、弟は小学生になっても、授業中に椅子に座っていることができず、教室の中をウロウロと歩き回っていたそうです。

これは家庭訪問があるたびに、母が担任教師から注意を受けていました。当時はしつけの問題として捉えられていたようで、もっと厳しく家庭で指導をして、他の生徒に迷惑をかけないようにしてくれ、と母は言われていたようでした。

母は弟を可愛がっていましたが、それでも昔のことですから、決して怒らないということはなく、それなりにキチンとしつけをしていたと思います。

しかし、どんなに家で厳しく叱られても、弟は学校に行くまでにそれを忘れてしまい、同じことを繰り返していました。

けがも多かった

私も同じ小学校に通っていましたが、一度弟になぜ授業中にウロウロするのか聞いてみたことがあります。答えは一言で簡潔でした。

だって、つまらないんだもん。

私は子どもながらに、それでは仕方がないなと納得した記憶があります。他にも母は弟がけがばかりしていることにも、悩んでいたようです。次々と突拍子もないことをしては自分だけでなく、他の子どもにもけがをさせていたため、母は気が休まることがなかったと思います。

弟は小学4年生になっても、階段の最上段から飛び降りて足の骨にヒビが入ったりしていました。これは空が飛べるかもしれないと思ったそうです。私が今、電話が鳴るとドキドキして嫌な気分になりますが、当時の母も同じことを言っていました。

弟は遠回りした?

このような特徴は成人するまで続いていたように感じます。成人する直前、弟は専門学校を中退して、その後何年間か引きこもりのような生活を送りました。

現在は50歳を過ぎた弟ですが、普通の会社員として働いていますし、結婚もしたばかりです。実家の父が49歳で脳出血を起こして、半身麻痺になったため、弟は警戒して毎月健康診断を受けるという注意深さも身に付きました。

私は成人してからはそれほど弟と接していませんでした。だから、どんな生活を送って今の状態になったのかはわかりません。そこには彼なりの生活の工夫があったのではないかとも思います。

きっと気が散りやすく、落ち着きを失うことが多い自分を何とかする手段を見つけたのでしょう。しかし、もっと早くにこんな方法もあるよ、と示されていたら、弟の人生は違ったものになったかもしれません。

近道が見つけられたら

ASDとかADHDなど、最近よく聞くようになりました。こうやってカテゴライズしているだけ、と考える人もいるようですが、私はそうではないと思いたいです。

ASDなど特性がわかることで、自分の悩みへの答えや、これから先、生活するためのヒントが見つけられるかもしれません。弟は今、幸せそうですが、もっと早く幸せになっていれば、亡くなった母も安心できたはずです。

長女も次女も幸せへの道(できれば近道)を見つけられたら良いと思います。

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