性別が足かせになると思った休日

昨日は夫が休みで1日中家にいました。夫がしゃべるとやたらと「昔は女が〇〇をしなかった」という文句が出てきます。〇〇の部分はゴルフだったり、相撲だったり、神事だったりといろいろですが、つまりは男性だけの場を女性が侵略することによって、その面白さが失われていて嘆かわしいということのようです。

私はゴルフも相撲も神事もまったく興味がないので、参加できてもできなくても構わないと思っていますが、年がら年中夫に言われていると、腹立たしいと感じます。夫にそう言って、私に「女は〇〇しなかった」と文句を言うのは辞めるように要求したところ、夫はとても意外そうな顔をしていました。

私も性別意識に凝り固まっていた?

夫は私のことを女性だと思って話をしていなかったと言うのです。私のことは「ゆみこねこ」という個人であり、性別でくくれない存在だと思っていたと言います。そして、私が夫の言うことに腹を立てるのは、それこそ性別意識に凝り固まっている証拠ではないかと言いました。

確かに私は自分自身でも、普段は性別などにこだわっていないと思っていました。しかし、夫の言葉に腹を立てたことにより、私はやはり「私は女性である」、「女性であるから、〇〇をしなくては」などの性別意識に凝り固まっていたのだと確認することができました。

それを自覚した上でやはり私は言いたいです。同性同士の気安さは確かにあると思いますが、相撲や神事が女性の参加を拒否したのは、女性が不浄だからです。この理由に私は納得できません。

不浄というのは、汚れているということで、それは生理があるからです。そんな理由で参加を拒否していたわけですから、それを夫のように伝統だから守った方が良いと主張するのには賛成できません。

みんながいないと、世の中は成り立たない

女性にもし生理がなければ、子どもは生まれません。もちろん、女性だけで子どもを生むことはできませんが、男性だけでもそれは無理で、両方の性が揃っている必要があります。生理を不浄だとしてしまえば、人間の存在そのものを否定することになると私は思います。すべての人間は女性から生まれていますから、女性が不浄なら男性も不浄であるはずです。

男性だけで楽しむのを否定はしませんが、女性だから不浄だ、だから参加はできないという言い方は変えるべきでしょう。素直に男性だけで楽しみたいと、説明するべきです。

また、私は女性が子どもを生むのが偉いとかすばらしいと賛美をするつもりもありません。子どもを生むのは、人間としてのある一面に過ぎません。決して子どもを生む人だけが偉いのではないでしょう。色んな人がいるから、世の中は成り立っているのです。

男性も犠牲になっている?

ただ、女性だけが性別意識の犠牲になったかと言うとそうでもないような気がします。現に私の夫は30年の結婚生活の中で何度か転職していますが、私は決して私が生活を支えると夫に言ったことはありませんでした。

まだ、子どもが小さいんだから、頑張って早く転職して!

私はこのように夫に発破をかけ続けたのです。私が働いてしまっては、夫のやる気を削いでしまう、夫のためにならないと思っていました。

しかし夫は職場には恵まれませんでした。夫は仕事をするときは、真面目でやっつけ仕事のようなことは決してしません。どんなことでも精一杯丁寧に仕上げます(それは野良仕事をしているときの様子でわかります)。現在の職場もすでに20年近く働いていますが、正社員にはなれませんでした。

私がかたくなな考え方をしていなかったら、夫はそんな職場を退職して、自分で何かを始めることができたかもしれません。夫もまた私の性別意識の犠牲になってしまったように思うのです。

みんなが幸せになれる世の中に!

夫の他にもこんな男性がきっとたくさんいるのでしょう。性別意識から人々が解放されると、女性も男性も、それ以外の性別でもみんなが幸せになれるのではないでしょうか。今、みんなが気付き始めていますから、きっと未来は明るいのだと思いたいです。

それにしても、夫が文句を言い出すと、付き合う私が疲れます。私に文句を言うのは筋違いだと早くわかって欲しいと願っています。今日は仕事で良かったです。

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