毎日掃除をするのは大変ですが、私にはライバルともいうべき人がいました。その人のおかげで、子どもが小さなときも毎日掃除をして、気持ちよく過ごすことができました(まあ、自分なりにですが)。
ライバルは近所のおばあさん
その人は近所に住んでいたおばあさんで、もう亡くなってから20年近くになります。私が同じ敷地内に住んでいた夫の祖母と仲よしで、亡くなった年も近かったのです。その人は私が朝布団を干そうとベランダに出ると、大抵家の外側にはたきをかけていました。外側にはたきをかけると、パタパタと盛大な音がします。その音を聞くと、なぜか私も掃除をするぞ、というやる気がムクムクと湧き上がって来たものです。
そのおばあさんの家には、私よりも10歳ほど年上のお嫁さんがいましたが、その人によると毎朝のように家の外側にはたきをかけると、窓や網戸の汚れ方がまったく違うのだそうです。お嫁さんはとても助かるわ、と笑顔でいっていましたが、もし私が自分のお姑さんに同じことをされたら、もっと別の意味を感じて、不満を溜め込んでいたかもしれないと思います。家の外側にまではたきをかけるおばあさんも偉いと思いましたが、それを許しているお嫁さんのことも偉いと、私は思いました。
掃除も視点を変えることが大切
よくネットなどで掃除の方法を検索すると、窓や網戸の外側の汚れは、土ぼこりなどが主なので、最初から水ぶきをしないように、とあります。おばあさんのはたきをかけて、土ぼこりを払うというのは理にかなった方法だったわけです。
私はもともと部屋の中は気になって、毎日掃除をしようと考えますが、外のことはあまり気にしたことがありませんでした。だから、あっと気が付いたときには、窓ガラスはもちろん、サッシまでが汚れに汚れて、どこから手をつければよいのかわからないほどになってしまいます。
おばあさんの姿を見ていると、たまには視点を変えて、外も気にした方がよいことがわかりました。近所にそんなおばあさんが住んでいてよかったと、今でも思っています。
おばあさんのその後
そのうち、おばあさんのはたきをかける姿は見られなくなりました。夫の祖母が亡くなってしばらくすると、おばあさんには認知症の症状が現れ、それまでは私のこともよく気遣ってくれたのに(現在23歳の次女が、まだ赤ちゃんだったため)、まったく記憶から抜け落ちてしまったようでした。
その後、おばあさんは自宅で転倒して動けなくなり、自分で食事も摂れなくなって入院しました。近所の人たちとお見舞いにいったときに、お嫁さんがおばあさんの脚に、内出血のアザができているといって、みんなの前で着物をめくりあげました。何もわからない様子で横になっていたおばあさんが、自分に断りもなく着物の裾をめくられたことで、怒リ出しました。それは元気だった頃を思い出させる姿で、今でも忘れられません。
毎日家の外側にはたきをかけた潔癖なおばあさんは、まだ健在なんだなと思い、ホッとするとともに、ちょっとおかしくなりました。お嫁さんも、「しまった」という顔をして、バツが悪そうでした。でも、それからすぐにおばあさんは亡くなってしまいました。
それからは、家の外側にはたきをかける人の姿を見たことはありません。それどころか昔ながらの布で作ったはたきも見かけなくなりました。はたきをかけるおばあさんは、今でも私のよきライバルであり、思い出の1つになっています。