「好きなことは「見つける」よりも「選ぶ」」という若い漫画家・望月哲門さんの文章を読みました。この世の中で、何かを強く好きになる人は称賛されるし、かっこよいけど、小さな好きは軽く扱われてしまうという内容でした。
私も「好き」が見つけられない子どもだった
望月さんによると、何かを強く好きになれない人は、自分のことを好きなことを見つけられない、と考えてしまうため、夢を見つけられないダメな人間だと思ってしまうということです。
考えてみれば私の子どもの頃は、何かというと子どもに夢を尋ねてきました。文集などでは必ず特集として、巻末にみんなの夢を載せていました。将来特に何もなりたいものがなかった私は、それはそれは困ったものでした。
大人になった自分すらもイメージができなかった私は、さらに大人になった私がどのように生きているかなどは考えられませんでした。なりたいものが思い浮かばないだけでなく、何が自分にできるのかもわかりませんでした。それを母に言うと、返ってきたのは、
「あんたって本当にダメな子だね~。夢の1つもないないんて」
という嘆きの言葉でした。夢がないというのは、ダメなことなんだ、みんなを悲しませてしまうんだと考えた私は、一生懸命将来の自分ができそうなことを考えました。お嫁さんにはあまりなりたいと思いませんでした。一番身近なお嫁さんであった母が毎日文句ばかり言っていて、ちっとも幸せそうではなかったからです。
しかし、医者や看護師というとお前では無理だと言われ、会社員ではそれこそ夢がないと言われました。私はどうして良いかわからなくなり、本当に夢について考えるのが嫌になりました。
小さな好きを大切にしたい
自分の好きなことを夢にしたら良いと言われても、私にはその好きというのがよくわかりませんでした。本を読むことや折り紙、お絵かき、編み物など好きでやっていたことはいくつもありましたが、そのどれも母は気に入らなくて、しょっちゅう役に立たないことは辞めなさいと言われていたのです。そんなことに時間を使うなら、勉強しなさいというわけです。
私には小さな好きはたくさんあったけど、それらが母の言葉1つでずいぶんと潰れてしまったのではないかと思います。
望月さんは自分の漫画に対する思いを小さな好きと表現していました。それで漫画を諦めようとしたこともあったけど、小さな好きを大切にして生きていけば良いのではないかと言っていました。そして彼は現在でもバイトをしながら、漫画を描き、自らを漫画家と称しています。
それは私から見ると、小さな好きが集まって、大きな好きになったのだと思えるのです。私も遅まきながら、目の前にある小さな好きを大切にして生きていきたいと思いました。例えばこのブログを書くことも私にとっては小さな好きでしたが、今や段々と大きな好きになっているように思います。
今年最後に、何だか今までの自分を肯定できる文章に出会えてとても幸運でした。終わりよければすべて良し、来年も良い年になりそうな予感がします。
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