捨てるのは優しさ

プレゼントはものではなくて心 生活

いつもものを捨てるとき、ちょっと自分のことを冷たい人間のように思って、嫌な気持ちになっていました。現在引きこもり中の次女はものを捨てるとき、ためらいがありません。それを見ていると、私は自分と次女の人間性を考え、複雑な気持ちになっていました。

でも、先日ふと母の遺品を整理していたときのことを思い出したのです。それは6年前のちょうどこの時期のことでした。

母の遺品にあったのは?

母は自分では断捨離を進めていると言っていましたが、随分古い衣類も出てきました。中には私が学生時代(35年以上前です)によく目にしていたものもありました。古くてヨレヨレになった衣類と一緒にまったく使っていないものもたくさん出てきました。

それを見ているうちに思い出しました。まったく使われていないバッグやブラウスなどは、すべて私が母にプレゼントしたものだったのです。

私は自分で働きだしてお給料をもらうようになってから、母の日や誕生日にはできるだけ母にプレゼントをするようにしてきました。どうしてもプレゼントをしたかったわけではありません。母自身も、着るものは好みがあるから要らない、甘いものは身体に悪いから要らない、などと言っていました。

それでも私は無言の圧のようなものを感じて、プレゼントをせずにはいられなかったのです。うまく言えないのですが、父が病気で働けなくなってから、私はよく母のこうあるべきだという考えを感じていました。

子どもは親に感謝をするべきだ、子どもは親が大好きであるべきだ、子どもは親のために何かをせずにはいられないはずだと母が考えていると感じていたのです。だからいくら文句を言われてもケチを付けられても、私はプレゼントを続けました。

感謝の気持ちからプレゼントをせずにはいられない娘を私は演じていたのかもしれません。

すべて自分で処分しました

ほとんど使われた形跡のないプレゼントを目にして、本当に母は私のプレゼントが気に入らなかったのだな、と実感しました。

少し悲しかったけど、いろいろまとめてリサイクルショップに持ち込みました。すべてを見てもらいましたが、引き取ってもらえたのはほんの僅か、受け取ったお金は500円でした。

リサイクルショップで断られたものは、近所の小学生が廃品回収をすると言うので、すべて渡してしまいました。

持て余しているのを見るのは辛いから

そんなことがあってからもう6年が経ちますから、最近ではそれほど思い出さなくなっていましたが、先日ふと、もっと早く母が私のプレゼントを処分していてくれたら、私はそれを片付けずに済んだのだと気が付きました。

プレゼントをしたのは随分と昔の話です。実際にものを目にしなければ、母へのプレゼントにまつわるあれこれを思い出さずに済んだのです。

世の中には、人からいただいたもので困っている人も多いでしょう。しかし、いたずらに手元で保管せず、処分(つまり捨てるということです)するのも優しさではないでしょうか。

よくプレゼントはものをもらうのではなく、気持ちをもらうのだと言います。持て余すくらいなら、潔くものは処分して、気持ちだけをもらっておくと考えた方がプレゼントをしてくれた人にとっても良いと思います(私が実際にそう思うのですから、本当にそうだと思います)。

持て余す姿を見るよりはよほどマシというものです。

別の考えも…

そんなことをいろいろと考えていたら、また別の考えも浮かんできました。もしかすると母は、私のプレゼントをもったいないと思って使わなかったのかもしれない、という考えです。私の気持ちを母は喜んでくれていたのかもしれません。

もし、そうなら義務感ではなく、もっと真心を込めたプレゼントをすれば良かった、そんなことを考えている年末です。どちらにしても、1度母にあげたものを私は使う気にはなりませんでした。結局はすべて処分するしかなかったのだと思います。やはり、捨てるのは優しさなのです。

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