私は携帯電話を持っていません。ガラケーが壊れて、そのまま解約して、2年がたちましたが、不便だとも思っていません。でも、先日夫に携帯電話をもう1度持った方がよいのではないかといわれてしまいました。
今や固定電話ではダメな時代
前から、夫はいざというときに連絡が取れないと困るといっていました。でも、私は大抵家にいるから固定電話で用が足りると言い返していました。定期的に出かけるのは、買い物か通院です(ドライアイで眼科に通っています)。2時間もすれば戻ってくるので、それで困ることはないと思っていました。
ところが会社で非常時の連絡先を登録することになったので、困ったと夫はいうのです。自宅の固定電話の番号を伝えたところ、必ず誰かが出てくれる携帯電話の番号を教えて欲しいといわれたそうです。つまり私が携帯電話を購入すれば、その番号を非常時の連絡先にできるというわけです。
昨年、夫と同じ部署にいた人が勤務中に突然亡くなったことがありました。その人は夫とそれほど年齢が違わない人だったので、他人事には思えませんでした。だから、非常時に連絡先が必要なのは私にも理解できます。でも、それが固定電話ではダメというのが私にとっては不思議なことです。
携帯電話があれば、解決するのか
携帯電話を持っていれば、百発百中で電話に出れるとは限らないし、連絡さえ貰えれば非常事態に対応できるとは限りません。私は父の具合が悪くなったことをきっかけに携帯電話を購入しましたが、父の臨終には間に合いませんでした。母の臨終には間に合いましたが、今では臨終に間に合うかどうかで、それほどの差があるとは思っていません。
持たなくなって初めて感じましたが、携帯電話にはプレッシャーを押し付けてきます。持っている以上は、いつでも人とつながって、どんなことにも対処しなくてはならないのではないかと思えてくるのです。最初から持っていなかったら、そんなことは考えずに済みます。
仕事をしている人はそんなことはいっていられないでしょうが、私は仕事をしていないのだから、携帯電話のプレッシャーは感じたくありません。
電話は変わるよ、これからも
しかし夫が肩身が狭いのは気の毒なので、近々再び携帯電話を持つ日が来ると思います。それでも、どことなく気が重いです。
私が子どもの頃は家に電話がありませんでした。連絡は電報で来たり、大家さんに電話連絡が来ました。私が結婚して子どもを生んでから、携帯電話が一般的になりました。当時、携帯電話は補助的なもの、個人的なものという意味が強かったようで、連絡網などは家の固定電話の番号が載っていることが多かったと思います。医療機関や交通機関では使ってはいけないなどの制限もありました。
そして今は、携帯電話の方が、必ず連絡が取れる信頼できる手段へと変わりました。昔のように、医療機関や交通機関で厳しく制限されることもないようです。でもまた、連絡方法が変わる日が来るかもしれません。何だか振り回されて悔しいな、と思うのはひねくれ過ぎでしょうか。
物心ついたときから、携帯電話を使ってきた人はそんなことは考えないでも済むかもしれませんね。