旅行をしなくなった理由

旅行で疲れた様子 生活

コロナが下火になってきて、いろいろなことが復活してきたようですね。昨日の文化の日も観光地は賑わいをいくらか取り戻したようです。私が最後に旅行と名がつくものをしたのは、2010年でした。娘たちの夏休みに合わせて高知県に行ったのです。

当時、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が放送されており、長女も次女もそれに夢中になっていました。珍しく次女が坂本龍馬の故郷・高知に行きたいと言い出し、それではということになったのです。

行く前から不穏な感じが…

ところが、行き先は遠いのに私以外の家族は飛行機に乗るのが嫌だと言い、新幹線で岡山まで行き、在来線を乗り継いで高知まで行くことになってしまいました。

その上日程は2泊3日です。移動に時間がかかるのに、2泊3日では疲れに行くようなものです。せめてもう少し止まる日数を増やせないのかと夫に言いましたが、これ以上の休みは取れない、毎年ウチの旅行は2泊3日なんだから我慢しろ、と言われました。

何だか行く前から嫌な感じがしましたが、普段はあまり表情を出さない次女がとても楽しみにしているのを見て、私が我慢をすれば良いか、と思ってしまいました。

出発の日は自宅を早朝5時には出発、いよいよ東京駅に着く頃になって当時中学2年生だった次女がトイレに行きたいと言い出しました。次女は以前からプレッシャーに弱く、これから新幹線に乗るというだけで腹痛を起こしてしまったのです。

新幹線の指定席をとっていたため、間に合わないと困るよ、ということを私も夫も何度か口にしました。これが次女にはプレッシャーになってしまったようです。考えてみれば、その頃から次女は繊細なところがあったのですね。

到着後も大変だった

無事に高知に着いてからも、2泊3日ということで、夫は次から次へと観光スポットを回ろうとしました。8月のお盆休みで一番暑さが堪えるときに、かなり歩くことになり、私は暑さと疲れで参ってしまいました。休みたい、疲れたと言っても聞いてもらえず、夫は次はどこへ行こう、何を食べようと言うばかりです。

しまいには、せっかく来たのに、疲れたばかり言うなと怒られてしまいましたが、炎天下を歩く娘たちの身にもなって欲しかったです。

高知では心に残った場所やものもたくさんありました。街のいろいろな場所から高知城が見え、私はお城の見える街の素晴らしさを初めて知りました。街の作りにも余裕があり、夏の盛りでしたが自分の住んでいる埼玉県と比べると、建物と建物の間を爽やかな風が通るような気がしたものです。

街路樹が南国風だったこと、市電が走る風情など良かったことをあげたらたくさんあるのですが、それでも私は家族で2泊3日で遠出をするのには、限界があると感じずにはいられませんでした。

私はドンドン食欲がなくなり、せっかくの旅館の食事も喉を通らなくなりました。夫の晩酌の相手もほとんどできなくなり、夫がつまらなそうに1人で飲んでいたのを覚えています。帰りもずっと乗り物の中で脚がダルくて、とても辛かったです。

旅行はもう良いかな、と思った

結局自宅に帰宅後も私は脚のむくみが治らず、数日間は体調不良を我慢しなくてはなりませんでした。そしてこのとき、旅行はもう良いかな、と思いましたし、それを口に出しました。

私は疲れて具合が悪くなるから、もう旅行は行かないよ。行きたければ私を抜かして、みんなで行ってきてください。

結局、人は皆自分のペースで動きたいのです。夫に、せっかく遠くに来たのに、もっといろいろ見たいと思う気持ちが出ても当然です。しかし、私が無理をし過ぎて体調を崩しても、家族に迷惑をかけることになります。そもそも、私が自分さえ我慢をすれば、と考えたところから間違いだったのかもしれません。

それまで旅行で楽しかったことも何度もあるし、決して旅行のことを悪く言うつもりはありませんが、私自身はもう旅行をしないと思っています。私はその時から行っていませんが、夫はお囃子の仲間とともに何度か1泊旅行に出かけています。長女も友だちと旅行に出かけて楽しんでいます。それで良いし、それが良いと思っています。

最後の旅行ということで、私は高知には特別の思いがありますが、すでに10年以上経過しているためか、家族の中で話題にのぼることももうありません。家族旅行をしていた頃は、毎年夏にかなりの出費をしていましたが、それもなくなり、少し家計も楽になりました。

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