頻繁ではありませんが、失くしものをします。自分のものなら、諦めて出てくるまで待ちますが、今回は次女が自分のTシャツがないと言ってきたため、探すことになりました。Tシャツは次女のものですが、洗濯は私がしています。てっきり、私が間違えてどこかにしまったのだと、私も次女も思ったのです。
それというのも、我が家ではユニクロの無地のTシャツをみんなが着ています。私だけがSサイズで、他の家族はLサイズで似たような色を着ているため、しまうときに紛らわしいのです。ところが間違えてしまったのだろうと、夫のTシャツをしまっている引き出しを探しても、次女のTシャツはありませんでした。
何度探しても見つからない
次は長女の部屋、もう一度次女の部屋、私のTシャツをしまっている引き出しまで調べましたが、やはりありませんでした。しまいには干しているときに、風で飛んだのかと庭や家の前の道まで探しましたが、当然ありません。
当然あるだろうと思っていたものがないのは、どうにも気持ち悪く、何とか見つけたいと思っていましたが、今は無理そうです。多分、探し方も偏っていて見落としがあるのでしょう。以前このブログにも書きましたが、実家から持ってきたボールペンが見つかるまでは数年かかったのです。
よく失せ物を探すおまじないというのがありますが、あれはまじないを唱えることで頭を冷やし、違う視点から探せるようになる効果があるのかもしれません。それにしても、なるべく探しものをしたくないから、持ち物は最小限にと心がけているのに、年に数回はこういうことがあるのでため息が出そうです。
こうなったら、夫にも知らない?と聞いてみようかと思いますが、夫に言うと、またうるさく言われそうで、なかなか言えません。
見つかって欲しいな…
私も、果たしてちゃんと次女のTシャツを洗濯して取り込んだのか、思い出そうとしても思い出せません。私にとって普段の家事は流れ作業になっていたようです。この機会にもう少し、ちゃんと向き合って、無意識の行動を減らしていけたら、失くしものも減るでしょうか。
次女は引きこもりになってから、極端に持ち物が減りました。半袖のTシャツは全部で2枚しかありません。そのうちの1枚が失くなったのですから、やはり気の毒です。羽織物なら暑くて脱いで、置いてきてしまった、ということもあるかもしれませんが、Tシャツは外では脱ぎません。だから、洗濯のときに失くなったとしか思えないのです。
失くしたものが見つかるときは、何度も探したところに当然のようにあったりします。今回はどこから見つかるか楽しみなようでもあり、見つからなかったら残念な気持ちもあり、複雑です。まだ、失くしものをしたことを受け入れられないようで、何度も辺りを探してしまうため、落ち着かない気持ちですが、この後はどうなるでしょうか。