国民がどんなに反対しても国葬は行われるが、大抵は無関心ではないかと思う

生活

安倍元総理大臣の国葬が終わりましたね。テレビの中継を見ていただけですが、とても壮大で何だか映画やドラマのワンシーンを見ているようでした。国葬に抗議する人たちがいるかと思えば、わざわざ遠方から献花をしに訪れる人たちもいて、報道だけを見ているとまるで国民が二分されているように感じられました。

私はどちらでもない

私は世間の大半は私のようにただの傍観者なのではないかと思います。突然命を奪われた安倍さんはとても気の毒ですが、だからと言って多額の税金を使って国葬をするべきだとは思わない、そんな方が多いのではないでしょうか。

私は国葬に賛成ではないけれど、デモに参加するのもちょっと違うと思っています。様々な報道から国葬はもう覆らないであろうことを、国民は皆理解していたことでしょう。デモは、決して国民が国葬に賛成していたのではないことの証拠になるだけです。

この証拠を残して置くことも必要なのかもしれませんが、私にとってデモに参加する人たちと自分には大きな隔たりがあると感じざるを得ませんでした。しかし、私にとっては献花に訪れる人たちもまた、隔たりがある人たちなのです。

私は安倍さんが銃撃された原因、そして森友学園や桜を見る会などの、今でも解明されていない問題があったことを考えたとき、どうしても国葬には抵抗感を覚えます。献花に訪れる人たちは、その問題をどう感じているのでしょうか。亡くなったという事実の前には、これらの問題などは関係がなくなるほど心が広いのでしょうか。

国葬でなければ、もっと死を悼んだと思う

私は安倍さんが個人で葬儀を行うなら、何も文句はなく、銃撃されたその日に感じた痛ましいと思う気持ちを持ち続け、哀悼の意を表したことでしょう。村八分にされた人であっても、葬儀のときには助け合うのが昔からの習いだといいます。それくらい誰かが亡くなるのは大変なことだとわかっているつもりです。

しかし、国葬というのは話が別になります。大々的に国葬を行い、安倍さんを英雄のように祀り上げて何かをごまかそうとしているのかと思えてしまうのです。そして、国葬に使われる費用のもとは、国民が払う税金です。私の税金は使わないで、と思う人がいても不思議ではありません。

それに自身の潔白が明らかになっていない人を国葬にする、外国の要人を招くことは、日本がその程度の国だと、他の国に知らせてしまうことになります。それは恥ずかしいことだと私は思うのですが…

多くの国民の気持ちとは別に、滞りなく国葬が終わって本当に良かったですが、政治家の皆さんはこれを美談ではなくきっかけにして欲しいです。生前安倍さんが抱えていた様々なグレーな事柄を明らかにするきっかけです。

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