先日、私が片付けのことで注意をしたせいで、30歳の長女が泣いてしまったという内容の記事を書きました。
何とも後味が悪くて仕方がなかった私は、引きこもり中の次女にこのことを言ったのです。だって他に家の中に話ができる人がいませんでしたから。
次女も驚いたが…
私が最初に「長女ちゃんを泣かせてしまった」といったために、次女は相当驚いたようでした。30歳の大人が泣くということは、相当のことを言われたのだと思ったのでしょう。原因は片付けだと聞くと、次女から力が抜けていくのがわかりました。
もう、驚いたな~。
私はてっきり、長女ちゃんに絵はきっぱり辞めてちゃんと働きなさい、みたいなことを言ったのかと思ったよ。片付けのことは(長女も)言われても仕方がないから、そんなに気にしなくてもいいんじゃない?
次女は長女が泣いたことについては、人間だから泣くこともある、泣いたからと言って特別なことではないと考えているようです。次女は自分自身が引きこもりをしているせいか、感情の波があります。自室で一人で泣いていることもよくあるそうです(私は知りませんでしたが)。
次女は泣くことで感情を発散できている、とも言っており、泣いてかえってスッキリするかもしれないとも言っていました。そしてこんなことまで言ったのです。
ママだって昔は夫婦げんかのときに泣いていたことがあったよね。泣くほど悔しかったんだろうけど、別にその後何かあったわけじゃないじゃん!
確かに言われてみればその通りです。私も長女が泣いたことを特別視して、こだわり過ぎるのも良くないかな~、と心底思うことができました。そして次女の言葉の通りに、長女は泣いて発散したことでスッキリしたのか、その後自分なりのペースではありますが、片づけを始め、態度も元通りになったのです。
次女に心配されて複雑な思い
そうは言ったものの、次女も気になったようで、夕食の後でこっそり私に長女の様子はどうだったかと尋ねてきました。普段とそれほど変わりはなかったと答えると、安心したようでしたが、その様子を見て、次女に心配をかけてしまったとわかり、私は複雑な思いでした。
とうとう娘に心配される立場になったのだと思うと、何だか急に年寄りになったような気がしたのですが、同時に今までは自分のことばかりだった次女(何しろ引きこもりになるくらいなので、精神状態が悪いことも多く、自分のことで精一杯、ともすれば自分のことも持て余しているように見えました)が人のことも心配するのだと思うと嬉しい気持ちにもなりました。
引きこもりの次女の言うことだから素直に聞けた
今回、私は次女の言葉を素直に受け取ることができました。もし、これが普通の生活を送っている人に言われたのなら『あなたにはわからない』と言葉を拒絶していたかもしれません。しかし、次女がどんな生活を送っているかを知っている私は、次女の言葉を真実の重さがあるものとして受け取ることができたのでしょう。
できれば子どもは普通に成長して巣立っていくのが良いと私は思っていますが(もう子どもは巣立っています、などと書いてあるブログを読むと私は心底羨ましいと思います)、そうならない場合でも何か良いことが待っているのだと、今回のことで思いました。
子どもたちが普通の人生を送っていないことばかりに注目していると、今回のような良いことを見落としてしまうような気がします。世間一般の家庭のように華々しいことではないかもしれませんが、私が今回感じたことは、小さくても貴重で煌めいているのだと思います。これからも、こんなことを見落とさないように生きていきたいと思っています。