「ウイルスばらまいてやる」に思ったこと

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愛知県で50代の男性が新型コロナウイルスに感染していることを知りながら、飲食店に出かけてしまいました。そのときに男性が家族にいったのが「ウイルスばらまいてやる」という一言だったそうです。

昔の小学生がやっていたこと

もちろん男性が訪れた飲食店2件は、店内を消毒の上、営業自粛になり、居合わせた店員とほかの客は濃厚接触者として、自宅待機になってしまいました。この件で、私は小学生のときのことを思い出しました。

昔から子どもどうしの悪ふざけやいじめとして、相手をバイキン呼ばわりすることがあります。誰か1人をバイキンに見立てて、仲間はずれにするわけです。これは時代は変わっても誰かが行っていて、決してなくなることはないようです。

バイキン役の子どもが反撃するときは、何をするかというと、自分がほかの子どもに接触をします。バイキンを伝染させるわけです。50代の男性はこれと同じことをしたように、私には感じられました。彼はバイキン扱いをされた、と感じたのかもしれません。

感染症に対する偏見がある?

確かに感染症を食い止めるためには、感染した人を隔離することが効果を発揮するでしょう。でも、この隔離ということに私たちはいい難い恐怖と不安を感じているのではないでしょうか。子どもどうしのいじめとして、成立するのが何よりの証拠だと思います。

クルーズ船の乗客たちが、ウイルス検査をして陰性でも、差別を受けるかもしれないと不安を口にしていましたが、確かに隔離されていた人が普通の生活に戻ったときに、それは有り得そうなことです。

隔離されたということは、感染していた証拠になります。普通の生活に戻ってきたとしても、本当に回復したのか、ウイルスが目に見えない以上は、ほかの人にわかる手立てはありません。

感染症を怖がるのは、必ずしも悪いことではないはずです。かつては感染症を怖がる気持ちが私たちを病から守ってくれたことがあっただろうし、あまりに無防備では感染者が増加する一方になります。でも、現在この気持があまりに強いと、誰かを傷つけることになると、私たちは自覚しておかないといけません。

敵の姿をまず知りたい

隔離されている人(またはされていた人)に対して、差別はあるのだと認めた上で、政府や医療関係者は対策を講じたほうがよいのではないでしょうか。

この場合の差別は、感染症への恐怖から始まっているのは間違いないと思うので、この恐怖を解消するためには、どうしたらよいのかを考えて欲しいです。

人間はよくわからないもの、知らないものへの恐怖が強くなるようですから、まずは新型コロナウイルスが引き起こす感染症がどんなものであるのかを、はっきりさせて欲しいと思います。敵の姿がはっきりしなくては、戦えません。

重症化する人は決して多くないというなら、なぜ隔離が必要なのかを広く強く知らせる必要があるはずです。特効薬もワクチンもないのは、普通のカゼも一緒ですが、なぜ新型コロナウイルスの感染症だけが隔離が必要なのか、みんなはちゃんとわかっているのでしょうか。私は今ひとつわかっていません。

みんなが気の毒な状態だ

確かにこの50代の男性はしてはいけないことをしたと思いますが、彼の体以上に心のうちをもっとケアしなくてはいけなかったのかもしれません。

きっと彼の心のうちは恐怖や不安でいっぱいだったと思いますが、彼の行動は負の感情を広げただけで、自分には一切得がありませんでした。街の人たちからは非難の声が寄せられているので(当然の結果ですが)、彼の家族も辛い思いをしていることでしょう。

今回のことでは、飲食店の店員、客、家族、そして彼本人とすべてが気の毒な結果になってしまいました。今回のことで、感染者が増えないように願うばかりです。そして50代男性の1日も早い回復も願ってやみません。そして回復した後に、どうか無事に元の生活に戻れますように。

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