句読点が怖いのも、ソフト老害も納得できないのはもう既に私が老害だから?

老害 若い人 生活

最近LINEのメッセージに句読点を使うと、若者は怖いのだということが話題になりました。それに関連して今日は「ソフト老害」ということがテレビ番組に取り上げられていて、何だか嫌な気持ちになりました。

最初はびっくりしたが

若者たちはLINEのメッセージ(特に目上の人からのもの)に句読点が使ってあると「冷たい感じ」とか「追い詰められている感じ」がして怖いのだそうです。

そして、職場の先輩などからの価値観の押しつけとも取れる言葉を聞くと(まあ、それだけではありませんが…)それをソフト老害と捉えるのだそうです。

句読点が怖いのとソフト老害は根っこが1つ

価値観の押しつけは誰だって嫌です。私だって、この年になっても夫から「絶対にこれは〇〇だ!」と言われれば例えようもなく嫌な気持ちになります。職場の上司に言われることが多いから、これをソフト老害と言っているのかもしれませんが、人には誰だって価値観があります。

若いから絶対に価値観を押し付けていないとは言えません。それをまったく考えずに、一方的に価値観を押し付けられていると思っているから被害者意識が生まれ、ソフト老害という言葉ができるのでしょう。

被害者意識があるから、LINEメッセージの句読点が怖いと思えるようにもなるのだと思います。

別に老いは関係ないよ

実際問題として自分より年長の人に価値観を押し付けられたとしても、それに反論するのは難しいものです。もしかすると、同年代同士であっても関係を悪化させたくないとか、ことを荒立てたくないなどの理由から反論できないかもしれません。

なるべくなら相手が不快になるような言動は避けた方が良いですし、相手が不快に感じていることがわかったら、素直に謝れる人間でありたいです。

ただ、ソフト老害という言葉からは、年齢を重ねることへのネガティブな感情が透けて見えるような気がします。このようなこと(価値観の押しつけとか長いお説教とか、私たちの時代は〇〇だったとか)は年齢に関係なく、聞きたくないことでしょう。

別に「老」は関係ないのではないでしょうか。「年齢に関係なく、気をつけようよ」で良いと思うのですが…かえってこれでは加齢ハラスメントだ、と思ってしまいます。

句読点については勝手に怖がってろ、と思っています。昔は目上の人への手紙に句読点を使うのは失礼だと言われていたとか…

あなたは句読点がないと文章が読めないほど、未熟な人ですからという意味になったそうです。しかし、生まれてからずっと句読点を使ってきたので、私は使わない方が不自然な気がしてしまいます。だからもういい、勝手に怖がってろ!という気持ちになってしまうのでしょうか。

まあ、短いラインのメッセージにたくさんの句読点があると、うるさい感じにはなるかもしれないですね。

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