以前紹介した「すてきいいねこさん」のブログ(お引越しされたので、現在は「りかさん」と仰るようです)。
引きこもりの息子さんが働きたいと言い出したため、親子で活動を開始しました。その様子がブログには細かく描かれています。
息子さんがどうなるのか、まるで自分の家のことのように気になっていました。結果としては、2ヶ月間就労継続支援B型事業所で仕事をした後に再び息子さんは外に出るのが辛くなってしまったのでしょう。
現在は再び以前の生活に戻っているそうです。
最近は引きこもりについての思いが違ってきた
我が家の次女も20歳から8年間、引きこもり生活を送っています。だからブログを読ませて頂いたときに羨ましい思いを感じ、いつかは我が家の次女も働けるのではないかと希望を感じました。そしてその後、このままうまくいくのだろうかと不安感も持ったのです。
引きこもりの家族がいる方なら、誰でもこんな心の動きがあるのではないでしょうか。引きこもりの家族がいると、いつかは外に出られるようになって欲しい、働いて自立して欲しいと思うはずです。私もそうです。
ただ、最近私の気持ちとは裏腹ですが、引きこもりになる原因がその人の性格・性質にある場合はもう治らないのではないかと考え始めました。
人には治らない本質があるのでは?
きっかけはあるドラマのセリフです。同性愛であることを父親に告げるシーンで父親が息子にこんなことを言います。「同性愛?ゲイってやつか?それはいつ頃治るんだ?」
父親はとてもにこやかです。いつかは息子も正気を取り戻し、女性と結婚するとでも思っているのでしょう。それに比べて息子の辛そうな顔は見ていて胸が締め付けられるようでした。
人の本質的なものは治そうと思って治るものではないでしょう。もし、治ってしまったらそれはもうその人ではなくなるかもしれません。もしかして、私は次女に対して、その父親と同じことをしているのかもしれない…と思うようになったのです。
自分のことではないと、客観的に見られるのに(ドラマ内の父親をひどいと思える)、同じようなことをしている自分の姿は見えなくなっている…これは結構怖いことだと思います。
別に私や夫は次女に対して表立って「外に出ろ」とは言いませんが、私たちの思いを次女はよくわかっているような気がします。そうして、わかっているからこそ辛い思いをしているのではないでしょうか。
不安はあるけど
これからは、次女が外に出られる希望を持つとともに、引きこもりは治らないという気持ちを忘れずに持っているようにします。少しは私からの無言の圧力が減って、次女が生活しやすくなれば良いと思います。
次女の将来が不安ではありますが、それは長女も同じこと。長女は相変わらずバイトをしながら、漫画や絵を描いて生活しています。独身で結婚の予定もありません。
私や夫が死んだ後はどうなるのだろう?と考えますが、自分の確固たる意志で今の生活を選んでいるのは長女自身です。つまり、人間に不安はつきものだから、傍が心配しても仕方がありません。
とは言え、後10年くらいしたら、めちゃくちゃ後悔していたりして…考えるとちょっと怖いですね。特に経済面での不安は本人が何とかしようと思わない限り、どうしようもありませんから。それでも言うことをいったら、もう後は放っておこうと思います。