大谷翔平選手の通訳を勤めていた男性が球団を解雇されたニュース。
最初にまず『かわいそうに…』という気持ちになりました。一緒にテレビの前に座っていた長女も私と同じ気持ちになったようです。
しかし、彼が解雇された原因がはっきりすると、かわいそうなのは大谷選手であることが判明しました。彼はギャンブル依存症であり、掛け金を捻出するために大谷選手の口座から6億円以上の金を盗んだのです。
実は偏見を持って物事を見ていた?
どうも私は通訳という職業柄、大谷選手の側に控えている様子やその容貌から、すっかり良い人であると思いこんでいたようです。他の方はどうだかわかりませんが、私は通訳は専門職であり、高い知性と能力を持っている人がやっている印象を持っていました。
無意識のうちに、そんな人は不祥事など起こすはずがないとも思っていたのでしょう。ですから、ことの真相を知って驚くばかりです。
私の他にも同じように思った人はいるでしょうか?もし、いるならやはり昭和生まれの中高年でしょうか?私と同様の人はもしかすると、ものの見方が偏見でガチガチに固まっているのかもしれません。
型にハマっていた方が生きやすかった時代
昨日もこんな記事を書きましたが、昭和の時代は人が型にハマっていた方が生きやすかったと思います。
昭和時代のかなり長い間、型にハマっていれば、先には約束された未来があったのです。その型にハマりきらない人であっても、かなり無理をして合わせてきたような気がします。
そんな時代は終わり、誰にも先が見通せなくなったとき、型にハマっていた人たちは辛い思いをしました。それなのに今、まだ私の中には昭和の時代の名残があります。私は大谷選手の通訳を学歴や容貌で判断していたのだと思います。
本質を見極めるのは難しい
今、私は何だか複雑な気持ちになっています。昭和時代を普通に生きていた私は、もう偏見でガチガチに固まったまま過ごすしかないのでしょうか。それとも、これは単に私が年を取ってきたという証拠なのでしょうか。
どちらにしても、あまり愉快ではありません。まあ、長女も「この人がこんなことをするなんて意外!」と言っていたので、多くの人にとっても意外だったのかもしれませんね。
人の本質を見極めるって、本当に難しいと思います。通訳の男性は私の人生には直接かかわりがありませんが、私は夫のことだって真面目で優しそう、うるさいことも言わなさそう~などと思って付き合っていました。
夫との結婚から30年以上経ちましたが、未だに見極められないのは残念です。このまま人生が終わるのかもしれません。