昨日、あくまで私の娘たちから考えたきょうだい関係についての記事を書きました。
同じ屋根の下にいるにもかかわらず、まったく顔を合わせようとしない娘たち(主に次女)のことが私にはかなりストレスになっていて、こんな記事を書いたのかもしれません。
きょうだいが仲良くないとストレスになる?
自分の生んだ子どもたちが家族としての関係を築けない、これは親にとってストレスになるはずです。親が亡くなった後、子どもたちは助け合って生きることができないのか…と考えると、寂しい気持ちになります。
私としては育て方がいけなかったのか、とも考えます。そして、私自身のことを考えると親(すでに父も母も他界している)は思い悩んだだろうな~と、この年齢になってやっと思いやることができました。
私には3歳年下の弟がいます。父と母は跡取りの男の子が欲しかったため、とても大切に育てられたと思います。とにかくかわいい、かわいいと言われていて、私はよく「弟は女の子みたいな顔をしていて、すごくかわいい!ゆみこねこと男女逆なら良かったのに」と言われていたほどです。
自分も弟とは没交渉だった
私は何かにつけて『弟ばかりが贔屓されている!』と妬んでばかりの子どもに育っていました。私の同級生には偶然3歳年下の弟がいる人が多かったのですが、成長した後も、彼女たちはみんな弟をかわいがっていました。それを見て私はとても不思議でした。
よほど顔が良いならともかく、思春期を迎えた男の子のどこがかわいいと言うのか…と考えていたのです。成長するにつれて私と弟はきょうだい喧嘩もしなくなりましたが、同時に没交渉になったのです。
私が成人間近になると、弟と顔を合わせることはほとんどありませんでした。私の実家は3LDKの小さな団地でした。今住んでいる自宅よりもよほど狭いですが、そんな中でも私と弟は生活サイクルも違うため、顔を合わせずに生活することができたのです。
当時母からは「きょうだいなんだから、たまには一緒にご飯を食べたり、話をしたりしたら?」と言われていましたが、なぜそんなことを言われるのかもピンときませんでした。だって話したいこともないし…本気でそんなことを思っていたのです。
結局は性格の問題?
再び弟とちゃんと話すようになったのは、母が病気になってからでした。弟の携帯電話番号を母から聞いて、初めてかけるときはかなり緊張したのを覚えています。何年も没交渉で気まずいと思っていたのでしょう。
しかし、母が入院する(しかもそれが最後の入院となった)わけですから、子どもは力を合わせた方が良いのに決まっています。勇気を出して電話をしてみると、まあ弟は弟で気まずいこともありませんでした。2人で力を合わせて母を看取り、葬式も済ませたのです。
ただ、母が亡くなった後、弟は50歳で結婚。コロナ禍もあったことから再び没交渉になりました(たまにラインで連絡する程度)。もう、これは私や弟の関係云々よりも性格が影響しているのでしょう。つまりは面倒くさがり屋であるということです。
ただ、2人で危機的状況を乗り越えたことは事実ですから、私と弟は決して仲が悪いわけではないと思えるようになりました。
私の娘たちも、私と同じなのかな~?それに人懐っこい人とそうでない人ってやはりいますから、家族みんなで仲良くできない人がいるのも仕方がありません。
ただ、母は私が結婚した後、実家に帰るときにはなるべく弟の顔を見せるように計らってくれたようです。大した会話はなくても、一緒にご飯を食べたりしていたので、数年ぶりに一対一で会話をするときも、それほど困らずに済んだのでしょう。
それを考えると、母には心配をかけたと思うし、母の配慮をありがたいと思うのです。そして、私と弟のことで心を痛めていたであろう母のことを労りたいとも思います。
にほんブログ村にほんブログ村
にほんブログ村