8月

季節

8月は6日、9日、15日と戦争のことを思い出させる日があります。地域によってはお盆の時期でもあるので、余計に戦争のことを考える人もいるのではないでしょうか。

無事だったけれど、無関係ではいられなかった父

私の父は昭和4年生まれ、出身は広島県の忠海という小さな街です。昭和20年の8月6日、父は15歳でした。広島市内の建物疎開(空襲の目標になる建物を取り壊す作業)に参加した同級生が亡くなったと話していました。

父はその日は自宅にいたため無事でしたが、8月6日に起きたことと無関係だったのかと言えばそうではありませんでした。父が住んでいた忠海は、広島から呉線で1時間以上かかります(平成5年の記憶です)。決して近い距離ではありませんが、昭和20年の8月6日以降、多くの人たちが広島から忠海に逃げて来たそうです。

ひどい火傷を負った人を見るのは怖かったけれど、それよりももっと怖かったのは一見何でもない人が突然亡くなることだったと父は言っていました。それも自分からは話すことはなく、中学生だった私が一度だけ聞いたときに、言葉少なに、やっとの思いで語っていたのです。

父は普段男の人にしてはおしゃべりだったので、昔はそんな父の姿が意外だったし、これは聞いてはいけないことなのだと強く感じました。

8月6日の記憶

私が幼かったころ、夏休みは毎年のように忠海で過ごしました。そのときの8月6日の朝の光景は忘れられません。

朝8時15分、サイレンが鳴ると近所中の人がみなが家の外に出て、白い砂の上で(海の近くだったので、庭がみんな白い砂だったのを覚えています)黙祷をしました。黙祷の時間は長く感じられ、私は辺り一帯から音が消えたような気がしました。

そのころ、私が住んでいた埼玉県でも同じ日に、その時刻に黙祷をすることがありましたが、雰囲気はまったく違いました。

言ってみれば、本気の黙祷とその場しのぎ、お付き合いの黙祷との違いです。この違いを嫌と言うほど感じて、私は広島や長崎の人たちの気持ちがわかるはずがない、と思い込んでしまい、そのまま大人になってしまったわけです。

親に話を聞いておけば良かった

この季節になると戦争関連のドラマや映画がたくさんテレビで放映されます。そうしたものから戦争を想像するのも、有意義なことだと思いますが、私の年代だと(56歳)戦争を体験した人が周りにたくさんいたわけですから、今私はもっと話を聞いておけば良かったと思っています。

やはり想像力を駆使して後から作ったものを見るよりは、どんなに下手くそでも真実の話を聞いた方が、心に迫るものがあったのではないでしょうか。

父は49歳で脳卒中の発作で倒れ、言葉が不自由になりました。本気で話を聞くならその前に聞いておかなくてはならなかったのです。戦争の話を聞いたところで、私はそれを多くの人に語るつもりもないし、反戦運動をするわけでもありません。

でも、親の世代に大きな影響を与えたことを知らないより、知っている方が良いと思っています。親がどうやって成長して、自分という人間が生まれたのか、それを知ることが自分の芯を強くしてくれるのではないかと思います。

親の話を伝えたい

それに自分が親に聞いたことを自分の子どもに伝えることができたら、それが家族の歴史になります。テレビでファミリーヒストリーという番組をやっていますが、人は誰でも自分のルーツを知りたいのだと思います。

一般庶民のことをテレビ局が調べてくれるはずはありませんから、自分が聞いたことはせめて子どもに伝えましょう。繰り返せば、立派なファミリーヒストリーになるはずです。

それは自分だけでなく自分の子どもたちが生きる上で必要な芯を作ってくれるでしょう。

私の場合はもう父からも母からも話を聞くことは不可能です。だから聞いた話は忘れないように、ブログに書いておくことしかできません。しかもすでに記憶が曖昧です。

もしこれを読んでいる方のご両親が健在なら、話を聞いておくことをおすすめします。8月なら、大切な話を聞けるのではないでしょうか。1人ひとりが親の話を大切にして、次の世代に伝えていけば、きっと世の中は平和なままなのではないかと思うのです。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 子育て終了主婦へ
にほんブログ村

よろしくお願いします。

コメント

  1. 葉月 より:

    こんばんは。暑いですね。

    仰る通りだと思います。私達の世代が、過去の話を繋いで行かなければならないと…
    私の父は大正8年、母は9年の早生まれで、戦争中はもう成人していました。軍服を着た父の写真が残っています。
    父は、母の実家の近くに駐屯しており二人は知り合いました。戦争がなかったら夫婦になることもなかったのです。
    母が洗濯をしていたら不発の焼夷弾が落ちてきたり、鉄製品は全て供給させられたり、そんな話は聞きましたが、やはり軍人であった父は戦争の話はあまりしたがりませんでしたね。
    今頃になると毎年のように放送される「火垂るの墓」。あれを私は辛くて見られません。当時一番辛かったのは、疎開した子どもたちだったとも言われますね。

    本当は夏だけでなくいつも思い出さなくてはいけないのでしょう。開戦が12月だったことを知らない若い人も多いですし。
    貴重な記事をあげて下さって、ありがとうございます。

    • yumikoneko より:

      いつも読んでくださってありがとうございます。
      ご両親のお話もありがとうございます。
      やはり貴重なお話だと思います。これをお互いに大切にしていきたいですね。

      「火垂るの墓」は我が家でも、誰も最後まで見通せません…
      あれが現実かと思うと辛すぎますよね。

      暑い日が続きそうですが、どうかお体を大切にお過ごしください。
      暑くて辛いとき、少しは人の痛みがわかるような気もします。

タイトルとURLをコピーしました