先日、いつものスーパーに買い物に行ったところ、声をかけてきた人がいました。最近ではスーパーで立ち話をすることもなくなっていたので(コロナ禍まではよく立ち話をする人を見かけましたが…)、これは珍しいことだと思います。
声をかけてきたのは、長女の同級生のお母さん。いわゆるママ友です。
長年顔を合わせていなかったママ友は
同級生と言うのは、活発で細身の女の子で、長女が幼稚園に通っていた頃から、小学校の低学年くらいまではよく一緒に遊びました。しかし、大きくなるに連れてそれぞれ別の仲良しができ、疎遠になっていったのです。
同じ地区内に住んでいても、同級生である娘さんだけでなくお母さんまで、もう20年近く顔を合わせていませんでした。顔を合わせていない間、事情があってお父さんの実家に住んでいたこともあったのだとか。それでは顔を合わせないはずですね。
しかし、先日声をかけてきてくれたママ友は、やはりまたお父さんの実家に戻るのだ、今は引っ越し作業を進めているところだと話していました。我が家と同じ地区に建っている住まいにはもう戻って来ないとのこと。
最後に会えて良かった~、とママ友は私に言ってくれました。ママ友と便宜上呼んでいますが、彼女と私はそれほど親しかったわけではありません。彼女は仕事をしていたし、宗教活動もしていたので忙しかったし、私の方も彼女の活動に警戒心もありました。
懐かしさと労りたい気持ちが
ただ、長いときが経って再び顔を合わせたときに私が感じたのは懐かしさでした。同じ時代に子育てをしたからでしょうか。私も彼女も年を取り、そしていろいろな問題を抱えているわけです。
今まで頑張ってきたけどさ、子どものことでも何でも、思っていたのとはちょっと違うよね。
ママ友はこんなことを言っていました。彼女にも2人の娘がいますが、2人とも結婚はしていないそうです。長女の同級生については「一人で好きなように暮らしているわ」と言っていました。
私は『引きこもりじゃないだけいいんじゃないかな~』と思ってしまいましたが、多分そうではないのでしょう。彼女が思い描いていた娘の成長と現在の状態はきっとかけ離れているのだと思います。しかし、どんなにそれが違ったものであっても、娘たちの現在の状態を受け入れるしかありません。
苦労が報われなかったと言ってしまうと語弊があるし、(ママ友の)娘たちにも申し訳ないですが、私にも似たような気持ちがあります。今の状態がすごく嫌ではないですが、何かちょっと思っていたのとは違うのです。
目的地に向かっていたのに、いつの間にか方向がズレて、何だか変なところに到着してしまったような感じ、とでも言ったら良いのでしょうか。同じ気持ちなのだなと思ったとき、私はママ友に対して懐かしさだけでなく、労りたい気持ちが湧いてきたのです。
長女の反応は今ひとつ
家に帰って長女に「〇〇ちゃんのお母さんに会ったよ。また、引っ越しするらしい」と言ったところ、長女は今ひとつ反応しませんでした。
なんか、今ひとつその子のこと、思い出せないんだよね~。だって、随分昔の話でしょ。ゆみこねこはその人たちのことがそんなに懐かしいの?
まあ、そんなもんですよね。長女はすでに31歳になっているし…私だって31歳のときに小学生のときの友だちのことなんて思い出さなかった…
子どもはドンドン先に行ってしまうけど、親の方は自分が一番頑張っていたときに取り残されてしまうのかもしれないな、と思いました。
長女の反応を見ているとちょっと寂しいと思いますが、だからこそ同年代のママ友に懐かしさと労りたい気持ちを感じたのでしょう。うん、私たち頑張ったよね、こう言っても良いんですよね。
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