テレビを見ていたときに、いつまで家族のためにご飯を作ればいいんだろう、と考えて記事を書きました。
実は少し前から「調理定年」という言葉があることを知り、興味を持ちました。いつまで調理をすればいいのか…と思うくらいなら、自分で定年とした方が精神的に良いはずです。
夫の仕事には定年があるわけですから、私だけが死ぬまで家事(特に料理)をしなければいけないのは、おかしいと思ったのです。
調理定年とは何か?
この調理定年というのは、評論家の樋口恵子さんが提唱している言葉です。調理を定年したら、手作り料理はほどほどにして、惣菜やテイクアウトなどをうまく使って栄養を摂りましょう、ということです。
私は夫の祖母や叔母のことを見てきましたが、いくら料理が好きでも年齢とともに疲れるので料理はしたくない、と言っていました。
買い物をして材料を揃え、それを洗ったり、食べられる大きさに切ったり、粉をまぶしたりしてから加熱をして、味付け。夕食におかずを3品出そうとすれば、同時進行で作業を進めなくてはいけません。
食べる前に鍋やフライパンくらいは洗っておきたいし、コンロが油でギトギトなら掃除もしたいです。これを毎日やっていたら疲れます。今現在の私でも疲れて嫌になっています。
ですから調理定年という言葉を作って、少し今までのやり方を見直すことには大きな価値があると思います。
調理は独占するべきではない
ただ、祖母や叔母は料理をしたくないとは言え、完全に手放すのも寂しそうでした。どうも、人間は何歳になっても人の役に立ちたいと思うもののようです。家庭の主婦をしている人にとっては、誰かの役に立っていると実感できるのが調理なのです。
それでも、調理を独り占めしていると、いざというときに困るのは家族です。例えば私が死んだら、他の家族が食べることを考えることになります。
死んで数年経てばそれが日常になりますから、そのときには何とかなっていると思いますが、私が死んだ直後、きっと忙しい中でもう食べることを考えなくてはならなくなったときが大変だと思うのです。
私が生きているうちに、少しでも食べることを考える習慣がついていれば、大変さは少し緩和されるのではないでしょうか。
とは言え、ことはそう簡単ではありません。何しろ、今私だけが食べることを担っているのを家族の誰も疑問に感じていませんから。
しかし、娘たちもどうせ実家に居続けるのなら、少しは私の荷物を軽くしてもらいたいです(これは夫にも言えることですが、今は朝4時半起きで参っているのでダメだと思う)。私は今、少しずつ、勝手に荷物を下ろさせてもらおうと思っています。


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