今日は4月8日。私が住んでいる市では公立の小・中学校、高校の入学式を行う日です。
多分、私が当事者だったときから4月8日は入学式で、45年前の4月8日には、母がフーフー言いながら私の高校と、3歳違いの弟の中学の入学式に出席していました。
45年前の4月8日に思ったこと
私が中学生のときに父が病で倒れたため、入学式に出席できるのは母だけでした。そんなに大変なら私の方は出なくて良いと母に伝えましたが、母はけじめだから、とそれを拒み、頑なに入学式に出席したのです。
母はすでに父の代わりに会社員として働いていましたが、中学・高校の入学準備には費用がかかって大変そうでした。いくら公立の学校でも、制服や体操着は揃えなくてはなりませんから。そして最終的には1日に2回、入学式に出席しなくてはならないのです。
『そうか、3歳違いだと入学準備のための費用が倍かかるだけでなく、行事も重なって大変なんだな』私は当時の母の姿を見ていてこう思い、それを忘れることはありませんでした。
実際に私は次女を産むときには、長女と4学年違うようにと考えました。
4学年も違えば、
長女はもう大きくなっていて、赤ちゃん返りは回避できるかもしれない、
ケンカをすることも少ないだろう、
そして、大きくなってからも、入学時期がずれるのだから、経済的にも苦しくならない
と考えたわけです。
自分がラクをするためですが、母親がラクならば、子育てにも余裕が生まれる。そうすると、それは子どもにとっても良い影響を与えるだろうと思ったのです。
予定通り4歳違いにしたものの
予定通り我が家の娘たちは3歳違いを回避して、4歳違いの姉妹となったわけですが、今となってはだからどうだ?という感じです。4歳違っても、次女が産まれた直後の長女はとても不安定になりました。
確かにケンカは少なかったですが、今考えるとそれは一人っ子が2人いるような状態だったと思います。お互いに言いたいことも言えないまま成長したのかもしれません。
その結果が今の2人の状態だとしたら、私がラクをするために考えたことはすべて裏目に出てしまったと考えざるを得ません。
新中学生を見て感じたこと
今朝、我が家の前を歩いていく新中学生の姿を見たときに思いました。世の中にはこれから予定通りとは行かないことがたくさんあるはずです。
でも、予定なんか気にせずに、眼の前のことに対して、臨機応変にぶつかっていって欲しいです。どうせ思い通りにいかない人生なら、せめて自分のやりたいようにやれば、後悔も少ないというものでしょう。
自分の娘の中学校の入学式で、今の娘たちの姿を私は想像もできませんでした。自分に自信を持って欲しいなどと考えて取った行動(皆勤賞が取れるようにとサポートしたり、こんな高校があるんだよと紹介したりした)は、すべて余計なお世話だったのかもしれないな…
それにしても、新中学生って、見ているだけで眩しいです。まだ何者でもないってことは、これから何にだってなれる可能性を秘めているから、こんなに眩しく感じるのでしょうか。


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