先日から私が購読している新聞で、戦争孤児についての特集が掲載されています。
今年は昭和100年にあたる年です。戦争孤児となった方々はみな高齢となっています。今が当事者の声を聞ける最後のチャンスでしょう。
7歳の子が弟を助けながら生きた
新聞紙面では高齢の女性が弟と2人で生き延びるために、盗みも働いたと語っていました。女性と弟は孤児になった後、上野駅の地下道で暮らしました。当時はたくさんの行き場のない子どもたちがおり、浮浪児と呼ばれていたのです。
懸命に生きた2人でしたが、弟さんは成長した後、自ら死を選んだそうです。
女性が辛い体験を語り出したのは、60歳を過ぎてから。自分が証言しなくては、誰も何があったかわからなくなってしまうと思ったからでした。
それまでの女性は言葉にして語ることで、辛い体験をまた思い出してしまうと思ったのかもしれません。それが怖くて60歳を過ぎるまで語ることができなかったのだろうと思います。
辛いことを思い出してしまえば(それはあまりにも大きすぎる辛さです)、日常生活もままならないでしょう。だから、語ることができなかったのも仕方がないと思います。
あのときの子を助けてあげて
女性は今87歳ですから終戦当時は7歳。誰かに助けて欲しかったに違いありません。私は新聞を読んで、どこにも行き場がない7歳の女の子が、助けて欲しくてその場から動けずにいるような気がしました。
長い間放って置かれた女の子。この子を思い出して、偉かったねと言ってあげられるのは、他ならない女性本人だけだと思います。
縁起でもないことを言いますが、87歳というのはいつ何があるかわからない年齢です。上野駅の地下道で懸命に生きた女の子を人生が終わるまでに、ちゃんと迎えに行ってあげないといけません。
今高齢になった方が辛い体験を語るのには、昔の辛い思いをした自分を無視しない、ちゃんと認めてあげるという意味もあるのではないでしょうか。あのとき7歳の女の子が頑張って生き延びてくれたからこそ、87歳の女性の今があるのです。
ぜひ、迎えに行ったらたくさん褒めてあげて欲しいです。
伝えることで救われることがある
比喩として迎えに行くと書きましたが、実際にできることってご自分の体験をできるだけたくさんの人に伝えることなのだと思います。伝えられた人が1人でも2人でも、自分事として考えられたら、女性の体験が他の人の役に立っていることになります。
女性はもう、7歳の自分のことを記憶の中に封じ込めずに済むはずです。今はただ、7歳の女の子が置いてきぼりにならずに済むように願っています。
私が幼い頃、母からも浮浪児と呼ばれている子どもたちの話を聞きました。母は自分もまかり間違えば同じ境遇だったかもしれない…本当にひどいことだと言っていました。私が子どもだった頃は終戦ってそんなに遠い日の話ではなかったのですね。
誰かが話をするだけでも、歴史はつながるのかもしれないと思うと、話をして伝えて行くことの大切さがわかります。では、戦争孤児の話を、次は誰が伝えていくんでしょうか?


にほんブログ村
にほんブログ村
コメント