先日、ご近所の女性が亡くなり、門送りに参列しましたが、また別の女性が亡くなってしまいました。


裕福で幸せそうな女性だったが
我が家の目の前に女性の家はあります。
女性は私の親の世代にあたりましたが、経済的には裕福、長男夫婦と二世帯同居住宅に住んでいました。大きく立派な家で、タクシーを呼ぶときの目印になるくらいだったのです。
長男夫婦には娘が一人いて、薬科大学を卒業した後、無事に結婚。一見、なんの心配も悩みもない暮らしぶりに思われましたが、大変なことも多かったようです。
女性は長男以外に2人息子がいます。もう、30年くらい前になるでしょうか。次男がバイクの事故で車いすの生活になりました。このときはずいぶん思い悩んだようですが、女性の一家は誰も次男のことについて話そうとはしませんでした。
古くからの知り合いなどは心配して「次男さんはどうしている?」と聞いたこともあったようですが、口を揃えて「大丈夫、全然心配ないよ」と言うばかり。後になってから女性が息子の将来について深く悩んでいたと聞きました。
三男が、離婚歴があり、子どももいる女性と結婚して、遠く離れた地に住むと決めた時も女性はずいぶん悩んでいたようです。長男の妻が「今、結婚を許さなかったら、三男は一生結婚しないかな…」と言われたそうです。
どちらも悩んでも仕方がない、と思われるかもしれません。しかし、女性が背負うには大きすぎる悩みだったのでしょう。70代になるころ、女性は認知症と診断されたのです。
キレイな顔をして横たわっていた女性
もともと物静かな女性でしたが、認知症と診断された後は一層口数が減り、ひっそりとした感じになっていました。その後、生活にも支障が出るようになって施設に入所。夫も時折「どうしているんだろうな…」と言っていたのです。
夫はまだ若いうちに両親を亡くしていますから、近所中の人たちに世話になったのだと言っています。もちろん、女性にも。だから、女性のことを忘れなかったのだと思います。
ただ、亡くなった女性の顔はとてもキレイでした。肌が白くて、つややか。86歳なのに、照明の光を受けて光って見えるほどでした。もう、悩みなどないところに行ったんだな、と思われる顔をしていたのです。
こういうのを見ていると、死ぬって怖いことではないんだな、と思います。私の実家は浄土真宗ですが、浄土真宗では人が亡くなると、阿弥陀様によってすぐに成仏できるそうです。死出の旅など、面倒がないのです。
女性の顔を見ていたら、やたらとそのことが頭に浮かびました。きっと女性は悩みから解放されて、すでに成仏しているに違いない、と確信に近いものがあったのです。そしていろいろな思い出も。
思い出もあるけれど
今は引きこもりの次女が、まだ赤ちゃんだった時、私が「泣いてばかりいて、大変。夜泣きもひどいし、昼間もすぐに泣くんだ」とグチをこぼしたことがありました。それを微笑みながら「よく泣く子は天才肌だっていうよ」と言って慰めてくれたっけ。
子どもを遊ばせていると、お汁粉を作ったからと誘ってくれたことも。子どもよりも私が喜んで食べたんだった。
あの頃の私は、今の娘たちと同年代(アラサーだった)。考えてみれば長い年月が過ぎたのです。寂しいけど、女性が亡くなるのも仕方がないですね。次は自分たちの番、このことが真実味を持って迫ってきます。
とにかく今年は暑い。家族にお年寄りがいる方は、注意しすぎということはありません。後悔のないよう、とことん注意をして過ごすと良いと思います(嫌がられるかもしれないけど)。
私はまた今日、門送りに参列します。


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