今朝、長女はお友だちと2泊3日の小旅行に出発しました。
行き先は東京から電車で2時間ほどの場所なので、本当に小旅行ですが、コロナ禍で自由に出歩くのはちょっと…というときがあったのを思うとやはり嬉しそうに見えました。
つい考えてしまうこと
私はつい、2泊3日の間、ご飯を作る量も洗濯もみんな3人分で済むなどと思ってしまいます。たった一人ですが、されど一人。結構負担が軽くなるんですよね。
長い間、家族の世話をしている主婦や主夫の皆さんは、そんなことは考えないでしょうか。こんなことを考えると、少々罪の意識を覚えます。
ただ、出かけるまでは大騒ぎの長女。ヘア・メイクのために起床時間は4時でした。そして長い時間をかけて身支度を整えたと思うと、荷物が多いので駅まで送ってくれと言います。
朝からドタバタで疲れました。多少、ラクができると思わないことにはやっていられません。罪の意識も帳消しとなりました。
更に考えてしまうこと
平日の朝、続々と駅の方に歩いていく人たちを見ながら、一体いつまで私は娘を送らなくてはならないのか、とも考えました。娘たちが高校生くらいまでは、度々車での送迎をしてきました。もちろん車での送迎は面倒です(私は運転が不得手だから)。
それでも、高校生は車の免許を持てないので、仕方がないと思っていたのです。しかし、もう長女は32歳。同じ年齢のとき、私には2人の子どもがいて、運転をしないと生活が成り立ちませんでした。
運転が不得手かどうか、誰も考慮してくれる人はなく、もうやるしかないと切羽詰まってのことでした。長女にも次女にも切羽詰まった事情はないので、私に頼るのも仕方がないのかもしれませんが、これはいつ終わるの?と考えるようになりました。
我が家にも変化は訪れる?
昔、適齢期の娘や息子に辛い言葉を投げかける親がいました。「早く結婚しろ」とか「いつまで家にいるんだ、このままじゃ困るよ」とか、普通に言われたものです。
今はその気持ちが少しわかるようになりました。自分の子どもだからと言って、一生面倒は見切れない、早く自立して、親をラクにしてよ、という気持ちがあったからこその言葉だったのかも…
ちょっと前まで、私は娘たちに対して、結婚しなくても一度は家を出て、自分の力で暮らしていくべきだと考えていましたが、娘たちが一人暮らしに十分な収入を得られるようにはなりませんでした(今はなかなか難しそうですよね)。
八方ふさがりってこういうことなんだな…と思います。出ていけとか、結婚しろなどと言っても無理なことを言う気にもなれません。閉塞感のある生活に風穴を開けるって難しいですね。
どんなことでもずっと変わらないなどということはあり得ません。我が家にもきっと変化が訪れるはず、とは思っていますが、それは喜ばしからぬ変化だったりして…
なんだかくらい気持ちになってしまいました。せめて長女には旅行を楽しんできて欲しいと思っています。
まあ、勝手に生んでおいて、今度は出て行けだなんて、勝手と言えばあまりにも勝手ですよね。
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