一家全員がコロナに感染して、身動きが取れなくなった、買い物にも行けず、日々の食事にも困ったという話を聞くようになりました。そうか、ある程度は備蓄をしないと、と思いましたが、私も似たような経験があることを思い出しました。
26年前の発熱
それは26年前、次女が生まれて初めての冬のことでした。一家で発熱したのです。それも生後4カ月だった次女も含めて全員39度越え。最初は次女の発熱に気づき、医者に行かなくてはと思いましたが、すぐに自分自身も今までに感じたことのないような身体の痛みに襲われて、発熱に気がついたのです。
そして夫と長女も発熱。これでは無理に病院に行くより、みんなで寝ていた方が良いと判断しました。解熱剤くらいは飲んだのでしょうか。もう、まったく覚えていませんが、私は当時次女に母乳を与えていたため、多分何も飲まなかったと思います。普通、体調不良のときは母乳を与えるのを控えるようですが、私は次女も熱があるし、お互い様だからいいや、という考えから母乳を与え続けていたのです。
今から考えると、39度を越える発熱時でも、変わらずに母乳が出ていたわけです。30代の私って元気だったな~、と感心します。一応、次女だけは治りかけのときに、近くの医院を受診しました。普段は温和な医師が珍しく厳しい顔でこう言ったのです。
ゆみこねこさん、それはインフルエンザだったんですよ。大人はまだしも、乳幼児は下手をすると亡くなってしまうかもしれないです。今後、そういうことがあったら必ず受診してくださいね!
インフルエンザだったかもしれない
当時はインフルエンザだからと言って、今のような特効薬もありませんでしたし、検査もしませんでした。だから私には、少し悪性のカゼくらいの認識しかなかったのかもしれません。しかし、重症化の危険性がある乳幼児を病院に連れて行かなかったのは、言い訳のできない事実です。
ただ、あのときはどう考えても次女を病院に連れて行くのは、危なかったと思います。39度以上の発熱時、運転もできないし、ましてや抱っこやおんぶをするなど考えられませんでした。
幸い、次女はその後何事もなく回復しました。そして一家全員が同時に同じ病にかかることはなかったのです。
今でも忘れられないこと
あのときのことで、今も忘れられないのは、夫の親戚の女性がたまたま電話をかけてきたときに、我が家の緊急事態を知り、レトルトのおかゆなどを届けてくれたことです。
玄関を開けて荷物だけを置き、すぐに彼女は出ていきましたが、玄関の外から大きな声で「大変だったね。これ食べて元気だして!」と言ってくれたのです。26年経ってもまだ鮮やかに記憶に残っているので、余程私は感激したようです。
今もコロナで同じ思いをしている人がきっといるはずです。ブログを読んでいても、私と似たような経験を語っている方がいます。だとすると、コロナで深くなる結びつきというのもあるのではないかな、などと考えていますが、どうでしょうか。
肝心の備蓄ですが、微妙なところです。頼れるのはお米と、毎年いただく乾麺くらいでしょうか。レトルトなどを買うと、夫がみんな食べちゃうんですよ…