3つの誕生日

家族

昨日は私の誕生日でした。私と次女の誕生日はとても近いのです(次女が8月31日、私が9月4日)。また、私の母は9月6日生まれだったので、親子3代が同じ時期に生まれたことになります。

誕生日から実感したこと

昔はそのことを何とも思っていませんでした。もしお祝いするなら合同でできるから、便利だなくらいの感想しかありませんでした。

でも、よく考えてみると生んだ側と生まれた側の両方の気持ちを考えることができるし、さらに母の誕生日が近いことで、血の流れのようなものを実感できるようになりました。

人は確かに個人で存在していますが、それだけではなく先祖たちから伝えられたものを自分も子どもや孫(まだいないけど…)に対して伝えていくのだということが身を持って理解できるようになったのです。

人間の存在感が変わった

個人としての存在しかわかっていなかったときは、その存在は点のようなものでした。この世の中には、たくさんの人が存在していますから、たくさんの点で世の中がいっぱいになっているように感じていました。

それが子どもを生むことで、点は線になり得ることが理解できたのです。子どもや孫に自分の何か(遺伝子や知識、人生哲学かもしれません)を伝えることで、点は線になって、それが長く続いていく可能性もあります。

世の中は点がいっぱいなのではなく、線がつながって輪になるかもしれないわけです。

誰かに何かを伝えるなら、子どもを生まなくてもできますが、私にとってはそれが一番わかりやすいきっかけでした。

死んでも後に残るものがある

点としての存在だと、自分が死んでしまうとそれで終わりですが、線になることをわかっていると、もし死んだら後は誰かの中で自分が生かされると感じるはずです。

少なくとも私はそうです。良くも悪くも長女と次女の中に私の性質や習慣が受け継がれ、私が死んだ後もしばらくは私が生きていた事実は消えないでしょう。

長女や次女がそれをまた誰かに伝えるなら、また私が生きていた事実は消えずに残ることになります。

3つの誕生日は特別

だから私は子どもを生んだ後に、自分がいずれ死ぬことを半分くらいは受け入れました(まだ1度も死んだことがないので、もう半分はやはり怖い気持ちです)。

この特別な誕生日に、私はマクドナルドのハンバーガーをテイクアウトして、家族で食べました。

私が子どもだった1970年代、マクドナルドのハンバーガーは特別な存在でした。小学生だった私は留守番をするとハンバーガーかドーナツのどちらかが買ってもらえるというので、興奮したものです。

今でもたまに食べたいなと思いますが、食べるとその後胸焼けや胃もたれがするので、めったに食べません。だから昨日は特別メニューだったわけです。しっかりと胃もたれを感じて、また1つ年を取ったことを実感できました。

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