昨日、夫のトラブル相手が次男だったことで、いろいろと考えました。
なぜ、次男ということに私がこだわったのか。実際に屈折した次男坊を知っているのが大きいですが、それだけではありません。今私が生活している地域では、嫌が上にも長男と次男(まあ、三男も含みます)は違うのだと感じるのです。
私が住んでいる地区は…
私が生活しているのは埼玉県の西部の市で、人口は15万ぐらい。東京都心までは急行電車で1時間ぐらいなので、東京のベッドタウンとして発展してきました。私の実家もここならなんとか通勤できるだろうとふんで、私が10歳のときに引っ越してきたのです。
しかし、東京への近さにはまったく関係なく、この市では良くも悪くも、昔ながらのものがたくさん残っていました。
夫とは偶然同じ市内に住んでいましたが、私は団地住まいで昔ながらの風習にはほとんど触れずに成人しました。夫は先祖代々この地に生活していたため、古い風習は当然だったのです。
長男と次男では住んでいる地区が違う
私が驚いたのは、長男が住む地区と次男以下が住む地区が厳然と別れていることです。長男は親の家を引き継ぐので、住む家は変わりませんが、次男が結婚して一家を構えるときには隣の地区に出ていきます。
次男が結婚して、また男子が複数生まれたとします。その次男はさらにその隣の地区に家を構えるのです。小学校の通学班などの都合で、地区別に集まれ!と言われると、集まる地区でその家が長男の家なのか、次男の家なのかはっきりわかると言うわけです。
長男と次男はこれほどまでにハッキリと差をつけて育てられ、育った後もなにかと長男、次男の違いを見せつけられながら人生を送ります。
性格も住んでいる地区のせいにされる
例えば長男が住んでいる地区の人がちょっと頑固だったとしましょう。するとその人だけがたまたま頑固だったのではなく、やっぱり〇〇地区に住むようなやつは頑固で困るね、と言う言い方をされます。
反対に次男の住む△△地区に住んでいる人が無責任な振る舞いをすると、やはりそれは個人の問題ではなく、△△地区に住んでいるやつはどこか無責任だよな、と言われるのです。
私が結婚してこの地に来たのは平成になってからです。それでも、長男と次男以下はこれほどの差をつけて育てられていました。これでは性格に癖がついても仕方がないのではないでしょうか。
この地も少しずつ変わっているから
先日のトラブルの相手は次男で、住んでいるのも次男が住む地区です。そこにとても目立つおしゃれな家を建てていますが、何だか私はそれが悲しいです。次男が親の住む家の隣に家を建てたっていいのに…
と言うか、長男とか次男とか、それは自分にはどうしようもできません。それなのに住む地域まで決まってしまうのは、どんなもんなんだろうと思ってしまいます。
まあ、この地の次男たちは、新たに土地を買って家を建てるよりは、お得だから良いと思っているのかもしれませんが。
実はこの地には昔ながらの風習がまだまだありました。例えば私がかつて記事にした「婦人茶話会」。これは嫁いで来た嫁を地域の女性たちに紹介する目的がありました。
年配の女性たちからは人気があったこの行事。コロナ禍で中止が続いた後、若い人たちの声を受けて、正式に廃止になりました。こんなふうに少しずつですが、この地も変わっています。
そのうち住んでいる地区の違いもなくなればいいな~。もしくは長男の住む地区、次男の住む地区なんて、みんなが忘れるくらいになればいいと思います。
若い頃は本当にこんな世界が残っているのを考えもしませんでした。世の中はみんな平等、私はそう信じて疑わなかったのですが、人ってそんなに簡単には変われないですね。育て方で身についたものは、ずっと残ってしまうから。
夫のトラブルは気の毒だと思いますが、夫だけでなくトラブル相手も気の毒だったと思います。


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