お寺に支払いに行かなくちゃ、と思っているのにまだ行っていません。支払う金額が1万1千円で、今千円札がないのです。
期日は今週の土曜日です。早く行かないといけませんが、お寺でお釣りありますか?とはなかなか聞きにくいです。それなのに、今日お寺のために両替に行くのも面倒です。
お寺に墓もないのに、檀家なの?
昨日も我が家は近所のお寺の檀家になっている、と書きましたが、通常檀家になっているならそのお寺にお墓があるのではないでしょうか。だから、檀家をやめるときにはお墓をどうするかが問題になるわけです。
しかし、我が家の墓は地域の共同墓地にあります。まったくお寺とは関係ないのです。それを思うと余計に檀家になっていることの意味がわからなくなります。別に檀家でなくても良いではないか、と思うのです。
葬儀や法事をするときごとに、お寺にお伺いを立てればそれで良いのではないでしょうか。もしかすると、我が家が檀家になっているお寺では、檀家以外の家から呼ばれても行かないのかもしれません。
それならそれで、私は同じ宗派の別のお寺を探せば良いと思ってしまいます。こんな風に思う原因の1つには、夫の親戚の体験があります。
葬儀を頼んだだけで檀家になる?
親戚の80代の父親が亡くなったとき、本家の菩提寺に連絡をしてお葬式をあげました。その家では初めての葬儀で、どこのお寺に頼めばよいかわからなかったのです。それなら多少なりともつながりを感じるお寺が良いと思ったそうです。
葬儀は滞りなく終わり、次の年のお盆が近づいてきたときです。お寺から集金の人が来たそうです。それは我が家と同じ、塔婆代や供養代といった内容でした。
それまではお寺と縁がない生活をしていた親戚。もちろんそれまでは集金など来たことはありません。そのときハッと気が付いたそうです。
『お葬式を頼んだから、檀家扱いになっている?』
集金に来るのは、役員をやっている人です(お寺には檀家たちが組織している役員がちゃんとあって、お盆の前の集金や出来上がった塔婆を取りに来た人に渡す、などの仕事を担当します)。
ですから、親戚は集金に来た人に何も言わず、黙って言われた金額を支払ったそうです。行けと言われたから集金に行ったのに、ウチは違いますよとも言えなかったのでしょう。
しかし、その親戚は次に母親が亡くなったときは、お寺に連絡しませんでした。宗教とは一切関係ない葬儀を行ったそうです。父親には戒名がありますが、母親にはそれもなく、仏壇を拝むことももうないと言います。
この話を聞いたとき、本当に檀家ってなんだろう?と思いました。こんな風にさりげなく檀家にされて、やめたいときには離檀料をとるなんて…おかしな話だと思います。もうお寺も集金に来ないらしいし、親戚は檀家にならずに済んだようです。
我が家もちゃんと考えた方が良いですね。まあ、檀家をやめたらお盆に塔婆はないでしょう。それじゃあ、夫は寂しいでしょうか。私と夫が亡くなるまではこのまま檀家を続けても良いでしょうが、いつ亡くなるかなんて、誰にもわかりません。
檀家のまま亡くなって、娘たちが困ることになるような気がします。


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