私の母にも祖母にも同じクセがありました。それは置き場に困ったものは、何でも床に置くということです。特に料理の最中にそのクセは度々出ました。煮物が出来上がったら床に置き、天ぷらが終わったら油の入った鍋を床に置いていました。
鍋の置き場がなかった
実家は古いタイプの団地だったので、キッチンは狭くて調理台などはほとんどありませんでした。だから、鍋やボウルの置き場所に困るのは多少理解ができますが、私は同じキッチンで料理をしたときにものを床に置くことはありませんでした。
母や祖母には熱いものをテーブルに置くとテーブルが傷むし、もしひっくり返したら危ないという理屈があったようです。それに実家のダイニングテーブルにはいつでもたくさんのものが載っていて、調理台の代わりというわけにはいきませんでした。
でも、子どもながらに食べ物が入ったものを床の上に置く方が、私には抵抗がありました。床のホコリなどが入りやすいような気がしたからです。それに母は自分が置いたことを忘れて、よく鍋やヤカンに足を取られていました。実際に転んで、足の指を骨折したこともあります。私たち子どもには、「気を付けなさい」とうるさいほど言っていたのに、本当に転ぶのは母だけでした。
危ないクセだから心配だった
父が49歳のときに脳卒中で倒れてから、母が1人で正社員として働き、家計を支えてくれました。いつも忙しくしていた母ですが、私たちをちゃんと成人するまで育ててくれました。だからしっかりものだったと思います。でもそんな母にも、妙なクセがあったと思うと今は懐かしく思い出せます。
ただ、実際問題として床にものを置くクセはなるべく直した方がよいと思います。年を取れば取るほど、家の中で転ぶのは思わぬ怪我の原因になります。その怪我が原因で、歩行が困難になってはつまらないでしょう。床にものを置くのは止めて、と私は何回も言っていましたが、直らないまま79歳で母は亡くなってしまいました。今でも母を思い出すと、付属品のように床に置いた鍋のことを思い出します。天ぷら鍋の中の油が全部こぼれたら、大変なことになるな、と思っていた中学生の自分の姿まで蘇ってきます。
もともと母はよく怪我をする人で、40代の頃から自転車で転倒して、大きな擦過傷を作ったり、会社でデスクの引き出し(一番下の段)を足の甲に落として、骨にひびが入ったりしていました。若い頃から怪我をしていたためか、年を取っても怪我が増えたということがなかったのが、今思うとよかったです。
何でも口に放り込むクセ
他に母には、何でも生で口に放り込むというクセもありました。料理をしながらベーコンを生で食べるなどはしょっちゅうでした。子どもだった私は、ハムならよいけど、ベーコンはどうなのかと疑問を感じていました。
母はお腹を壊したことはないから、大丈夫といって私の心配には取り合ってくれませんでしたが、大人になってからベーコンも生で食べられることを知り(加熱後包装と表示のあるものに限ります)、母の方が正しかったのだと知りました。キッチンの隅で車麩というドーナツ型のお麩をそのままかじっていたこともあり、そのときも驚きました。
お麩はそのまま食べると、カリカリしておいしいのよ!
こういって、母は平気でいました。私は子どもが生まれてから、おやつの代わりにお麩をあげることがありました。池の鯉になった気分にはなりますが、意外においしく、子どもも喜んでいましたが、他人にはずいぶんと驚かれたものです。
妙なクセが思い出になる
家族のために頑張ってきた母なので、もっとよいところを思い出して懐かしがってあげたいのですが、思い出すのはこんな妙なクセだったりします。
もし、これを知ったらがっかりするだろうな~、と思いますが、亡くなる前にいろいろとあった悲しいことややるせないことは時間の経過とともに消えて、ちょっと笑えるくらいのことが残った方がよいような気がします。
でも、私が亡くなった後、娘たちはどんなクセを思い出すのでしょうか。