昨日、夫の通院に付き添うなんて嫌だという記事を書きました。
私が通院している歯科医院で見かけたご夫婦について思ったことを書きましたが、偶然他にも夫婦について考えさせられたことがあったのです。
一昨日(つまり歯科医院から帰宅した後)、ご近所に住む高齢女性と話をする機会がありました。その方は我が家に一番近い商店を営んでいた方です。高齢になって店はやめてしまったため、めっきり話す機会は減りました。
高齢女性がしっかりしている理由は…
80代後半になり、すっかり痩せて小さくなったその女性。骨折を数回経験しており、そのときは長期入院を余儀なくされました。
もしかしてこのまま寝たきりになってしまうかも…と思ったこともありましたが、入院後もしばしば近所を歩いているのを見かけました。昨日、話した感じでは聴力にも認知機能にも全く問題なしだと感じられました。
その女性、話は早々に切り上げて、「ちょっと歩いてこないと…」と言います。思わず「どうしてそんなに歩くことにこだわっているんですか?」と聞いてしまいました。
すると「うちには92歳のおじいさんがいるからね。私が面倒見ないと。そのためには絶対に歩けなくならないようにしたい」と答えたのです。
同じ敷地内に女性の長男が家を建てて住んでいますが、女性は「私がおじいさんの面倒をみないと、みんなに迷惑がかかる」と言うのです。まあ、夫婦2人、力を合わせて生活してくれれば、息子一家は安心ではありますが、何しろ80代後半の妻に90代の夫です。
確かに妻の方が年下ですが、究極の老々介護であり、傍で見ているのも不安になるに違いありません。
しかし、女性は現に自分の足で歩けていて(それも結構な距離です)、頭もしっかりしている模様。これはやはり夫の面倒を見なくてはいけない、という緊張感がなせるわざなのでしょうか。
私は自分のためにしっかりしていたい
肝心の夫の方は、頭はしっかりしているものの、脚が不自由になりまったく歩けないということです。
頭がしっかりしているだけに、思い通りに移動できないのがもどかしいようで、余計に妻である女性は面倒をみなくてはならないと思っているようです。
女性と話した数分間は、緊張感と責任感で人は自分を保ちつつ生きていけるんだな、と強く感じた時間になりました。ただ、夫が亡くなった後はどうなるんだろう、とも考えてしまいました。
何もかもやりきった後の女性は、もう力を失ってしまうのでしょうか。緊張感も責任感も、誰かのためでなく自分のために発揮することができればいいのに。せっかく高齢になるまで生きるのなら、自分のための時間も欲しいです。
介護も大切なことですが、晩年がそれだけじゃ嫌だと思う私はやはり結婚に向いていなかったのか…夫婦ってどちらかが介護する、されるの関係ではなくて、精一杯生きて共倒れするくらいがいいのかな?
なんて、そんなうまくいかないですよね。
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