健康

いろいろな場所で父のことを書いていますが、私の父は49歳の若さで脳卒中の発作で倒れ、その後は社会復帰ができませんでした。倒れた直後は命まで危ぶまれる状態だったので、その後体は不自由になりましたが、73歳まで自宅で暮らすことができたのを今では良かったと思っています。

父が倒れたとき、私は中学2年生でしたが、今でも後悔していることがあるので、このブログに書いておきます。ここに書いておくことで、誰かの役に立てばよいと思います。

酔っ払って寝ていると思われた父

父が倒れたのは12月29日だったと思います。ちょうど仕事納めの日で、父は帰りに1杯やっていたようです(それはほとんど毎日のことでしたが)。よる11時過ぎに家のドアを開けた父は、そのまま玄関で倒れてしまいました。帰り道でもう具合が悪かったようですが、家に帰りたいと思う一心で、何度も転びながら帰ってきたようでした。

普段から酒をよく飲んでいたことと、その日も酒の臭いがしたことで、母は父が酔って寝ていると思い込んでしまいました。一緒に見ていた私も、そう思ったので、無理はなかったと思います。

父にしてしまったこと

布団で寝るようにと、父に大きな声をかけて、母は体を何回も揺さぶりました。今でこそ、いろいろな情報番組で、脳疾患で意識を失った人を強く揺さぶってはいけない、と教えてくれていますが、父が倒れたのは今から40年ほど前のことでした。私たちは、自分に経験がないことを知るはずはありませんでした。

何度声をかけても反応がないことをおかしいと母も思い始め、私は救急車を呼んだらどうだろうと提案しました。でも、この提案はなかなか受け入れてもらえませんでした。母はもし何でもなかったら申し訳ないとか、夜遅い時間だから周りに迷惑をかける、などといっていました。そしてとりあえず、誰かに相談するといって、隣の家の人を起こして父が倒れている様子を見せたのです(隣の家の人に迷惑をかけることについては、母がどう思っていたか不明です)。

偶然、隣の家の人は、脳卒中という病気を知っていました。知り合いがまったく同じ症状だった、一刻を争うから早く救急車を呼ぶようにと母にいってくれたおかげで、救急車を呼ぶことができました。年末だったせいで、救急車が到着してからも、入院先が決まらず、さらに時間がたってしまいました。

知っていれば、未来が変わるかも

私は今でも、倒れた父をあんなに揺さぶらなかったら、すぐに救急車を呼んでいたら、その後の父の生活は大きく変わっていたのではないかと思っています。家族が倒れていて、呼びかけをしても応えない場合は、脳疾患の可能性があるので、決して揺さぶらず、ためらわずに救急車を呼びましょう。

意識を失った人は、吐くことがあります。もし仰向けの状態で吐いてしまうと、窒息することがありますから、体を横向きにしてあげて、救急車を待ちましょう。

病気で何もかも、変わってしまった

父は一命を取りとめましたが、右半身に麻痺が残り、言葉を発することも不自由になりました。急に体が動かなくなった上、意思の疎通もできなくなった父は、自分の状況を受け入れることができずに、泣いてばかりいました。それは母も同じことで、何度も元気な姿の父が「ただいま」といって玄関から入ってくる夢を見たそうです。

私は自分の進路がとても心配でした。高校に進学できるのか、これから生活はどうなってしまうのか、不安でたまらなかった記憶があります(父の体を心配していないところが、今でも申し訳ないです…)。

その頃仲良くしていたクラスメートに、父が倒れたと打ち明けたところ、「家族がいるのに、あなたのお父さんは無責任だね。私のお父さんは、自己管理ができる人だから、絶対にそんなことにはならない」といわれ、ちょっとショックだったこともよく覚えています。

父が幸せだったと思いたい

言葉が不自由になってしまった父でしたが、私はその状況に慣れてくると、意外に父が何をいいたいのかわかるようになりました。結婚して子どもを生んだ後に、父に倒れてからのことを覚えているのか、聞いてみたことがあります。

結果としては、よく覚えていない、気が付いたら孫ができていたといっていました。孫が見られてよかった、とはっきりと口に出していました。もう1つ父は、仕事ができなくなったのはがっかりだった、ともいいました。仕事はとてもおもしろかったのだそうです。

何だか聞いて笑ってしまいました。私の父は無責任かもしれない、でもとてつもない大物だったのかもしれない、そう感じました。やっと中学生のときに父が無責任といわれたことから吹っ切れた上に、病気になっても父は幸せを感じてくれたこともわかりました。まあ、そう思って自分が安心したかっただけなのかもしれません。

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